
人口8000人を切る中国地方の山間部の町に、産婦人科の医院が開業する。開業医は神奈川県で有名なクリニックの元院長、日下剛医師(58)だ。全国で産婦人科医が不足する中、なぜ地方の町で新たなスタートを切るのか。日下医師に話を聞いた。
分娩台のない医院
「今からワクワクしています。『また産みたい』と思ってもらえるお産を実現していきたい」
3月に横浜市内で取材に応じた時、日下医師はそう話して笑顔を見せた。妻の藤原亜季さん(47)や2人の子どもと広島県神石高原町に引っ越す直前だった。
以来、産婦人科医院「神石のたまご」を立ち上げるべく、町に移住して準備をしてきた。そして、9月2日に開業することになった。「多くの母子が出産で幸せを感じられる施設にしていきたい」と意気込む。
日下医師は2016~24年、神奈川県の産婦人科クリニックの院長を務めた。陣痛促進剤や帝王切開などの医療介入をできるだけ控え、妊婦は分娩(ぶんべん)台のない個室や和室でリラックスしてお産ができる。さらに、充実した産後ケアも受けられると評判だった。
「お産の幸せ実感」
そうしたお産に日下医師が取り組んできたのは、「本来の出産は陣痛が来たら、横になっていればほとんどが成功する」との思いがあるからだ。一定の痛みは伴い、時間はかかるが、妊婦は特にいきまずとも産めるという考えだ。
「人の骨格は10万年前から変化していない。何もないところで出産をして子孫を残してきたのに、戦後の日本は病院の分娩台が定番になってしまった」と嘆く。
今の一般的な産婦人科では、分娩台で妊婦が緊張を強いられてホルモンのアドレナリンが分泌され、力む必要が増えてしまう。それが日下医師の持論だ。
実際、妻の亜季さんは27歳の時に病院の分娩台で第1子を産んだ。40代の時は布団に寝そべって第2~3子の出産をしたが、そちらのほうが力まずに産めたそうだ。44歳で、陣痛から1時間ほどで元気な第3子の女の子を出産した。
亜季さんは「日下に言われたとおり、痛いと感じてからは何も考えないように呼吸に集中して横になっていたら生まれた」と振り返る。
第2、3子の出産時は第1子の時と違って会陰部(膣(ちつ)と肛門の間)の傷や尿漏れもなく、「お産はこんなに幸せなんだと実感しました」と語る。
大学院でホルモンを研究した亜季さんは、こうしたお産は「愛情ホルモン」と呼ばれるオキシトシンの分泌も盛んになり、産後の幸福感が大きく「また産みたい」という気持ちになりやすいと指摘する。
両者の思いが結びつく
日下医師は神奈川のクリニックでこうした自然なお産に取り組んできた。しかし、運営法人の方針でクリニックは縮小となり、24年3月に出産の受け入れを取りやめた。見直しを求める利用者らが4000筆超の署名を提出したが、方針は変わらず、日下医師も院長をやめた。
行き場を失ったところに、…
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