ドローンの登場「衝撃的だった」 無線ヘリに憧れ 趣味が仕事に

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ドローンが並ぶ事務所内に立つ福山武治さん=札幌市白石区で2025年8月4日、高山純二撮影 拡大
ドローンが並ぶ事務所内に立つ福山武治さん=札幌市白石区で2025年8月4日、高山純二撮影

 無線操縦ヘリコプターと出合い、人生の方向性が定まった。

 数多くの映画やテレビドラマ、CMの撮影に関わったドローンオペレーターの福山武治さん(62)=札幌市。二十歳の時、高校時代から憧れていた無線操縦ヘリを購入し、飛行技術を競う全国大会にも出場。その道のりは決して平たんではなかった。

二十歳で無線操縦ヘリ手に入れ

 高校時代、雑誌で無線操縦ヘリを見て、いつかほしいと思っていた。

 ようやく手に入れたのは二十歳の時。大卒男性の初任給が十数万円だった当時、最も安い機種でも15万円ほどした。

 「ようやく夢をかなえた」。喜び勇んで組み立てたが、機体が浮き上がらない。回転し、横倒しになってしまう。何度も壊してしまい、修理代だけ膨らんでいく。

 原因が分からず、無線操縦ヘリは4年以上もリビングの置物になっていた。

 それでも、「何としても飛ばしたい」と思い続けていた。インターネットで見つけた愛好家のクラブに入り、ようやく飛ばなかった原因も分かった。メインローターとテールローターをつなぐテールベルトのねじり方を間違っていたのだ。機体は飛行可能になった。

 しかし、いざ飛ばそうとすると、ホバリング(空中停止)も満足にできない。「練習場で教わっても、うまくできない。操作がむちゃくちゃ難しかった」

 当時はまだ週休1日の時代。練習時間をつくりたくても、十分な時間を確保できない。時間をつくっても、例えば5分で飛行に失敗し、機体を壊してしまえば、残り時間は見学だけになってしまう。

 このため、無線操縦ヘリの師匠からは「同じ機体をもう2機買ってこい」と言われた。3機体制ならば、1機が壊れても、練習するチャンスがまだ2回あるからだ。

 機体を組み上げてから5年ほどがたつと、ようやく技術も安定。競技大会にも出場できるようになった。

 競技大会はきれいな円を描いて宙返りしたり、ローリングしたりする。北海道予選を勝ち抜いて全国大会に計3回出場した。最高順位は30位だった。

「趣味の延長」から始まった航空写真

 無線操縦ヘリは趣味として楽しむものだった。だが2000年ごろ、新たな可能性に気付く。

 当時は建設現場で大型クレーンのオペレーターとして働いており、知り合いの現場監督から護岸工事完成の航空写真を撮影する仕事を紹介されたのだ。

 無線操縦ヘリにビニールテープでデジタルカメラをグルグル巻きにして飛行。200~300枚を自動撮影すると、数枚がうまく護岸を捉えていた。報酬は5000円だった。

 「趣味の延長としてお小遣いになればいいな」。11年には産業用無人ヘリコプターのオペレーター技能認定も取得し、農薬散布の仕事も始めた。

 少しずつ空と関わる仕事が増えていった時、革命的な商品が発売される。ドローンだ。

 「ボタン一つで離陸や着陸ができ、映し出す映像も地上でみられる。衝撃的だった」。無線操縦ヘリはエンジンの振動でブレてしまい、映像は撮れなかったが、ドローンはきれいな映像が撮影できる。性能は雲泥の差だった。

 「本物のヘリを飛ばして空撮すれば100万円以上かかり、ドローンならば格安で撮影できる。商売として本格的にやっていけると思った」。趣味が仕事に進化する瞬間だった。【高山純二】

福山武治(ふくやま・たけはる)さん

 1963年生まれ、札幌市出身。札幌琴似工高卒。クレーンのオペレーターなどを経て、2015年に合同会社「北海道スカイビュー」を設立した。同社代表社員。

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