タイの首都バンコクで開かれている美術展に、現地の中国大使館が圧力をかけ、出品しているチベットや香港の作家名が黒塗りとなった。ただ、会場に残された「検閲跡」が注目を集め、かえって話題を集める皮肉な展開となっている。
美術展は7月下旬、バンコク中心部のバンコク芸術文化センターで始まった。世界各地の権威主義体制に抵抗の意思を示すのが狙いで、ミャンマーやイラン、ロシアなどから亡命したアーティストの作品が集められた。中国の中央政府に反発するチベットやウイグル、香港のアーティストも参加した。
企画したミャンマー人アーティスト、サイ氏によると、異変が起きたのは開幕2日後の7月26日だった。
中国人とみられる来場者が作品の解説文などを撮影する様子が目撃された後、バンコク芸術文化センターの担当者から、「タイ外務省から電話があり、主催者などについて聞かれた」と連絡を受けた。さらにタイ警察が会場を訪れ、サイ氏の連絡先を尋ねたと聞かされた。
サイ氏は、2021年の国軍による軍事クーデターを機にミャンマーを離れ、タイを拠点に世界中でミャンマー国内の人権侵害を告発する作品を発表してきた。父親は政治犯として収監されている。今回の出来事で、タイ政府にミャンマーへ強制送還されるのを恐れ、即座に脱出を決意。26日深夜には、妻とロンドンへ飛び立った。
翌朝、在タイ中国大使館の職員3人がタイ政府関係者と会場を訪れ、展示の中止を要請したとの連絡が入った。ただその後、バンコク芸術文化センターが大使館側と粘り強く交渉し、最終的には、香港、チベット、ウイグルのアーティストの名前と出身地を黒塗りにし、チベット人アーティストの作品などを撤去することで、展示会の中止は回避したという。
サイ氏は「中国大使館の行動は、明らかな主権国家(タイ)への外国による干渉だ」と憤る一方で、今回の出来事自体が、「権威主義国家による抑圧」という展示テーマを体現していると指摘する。その上で、「センターは表現の自由を守るため、中国からの繰り返しの要請に勇気とプロ意識を持って最善を尽くしてくれた」と述べ、タイ側に感謝を示した。
黒塗り対象となったチベットや香港のアーティストらとは連絡を取り合ったが、「彼らは展示前から、こうしたことが起きると予想していた」という。今回のような中国による検閲はタイが初めてではなく、欧州などでも経験していた。
ただ、今回の出来事はロイター通信や英公共放送BBCなど海外メディアでも報じられ、タイ国内でも広く知れ渡った。サイ氏は「皮肉にも、検閲が逆に観客を増やした」と指摘する。
実際、記者も今月中旬に会場を訪れたが、平日昼間にもかかわらず、タイ人や欧米観光客でにぎわい、多くの人が黒塗りにされた解説文に見入っていた。
現在、英国で亡命を希望しているサイ氏は「今回の展示を海外でも開催したいという要望が複数届いており、今後は世界中で巡回する計画も立てている」と話した。【バンコク国本愛】
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