理想と現実の矛盾 70年万博に向き合った若者の「ハンパク」とは

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ハンパク会場では、そこここでフォークソングも歌われた。当時の毎日新聞は「広場のあちこちで“歌と対話”の輪が夜を徹して続いた」と伝える=1969年8月撮影
ハンパク会場では、そこここでフォークソングも歌われた。当時の毎日新聞は「広場のあちこちで“歌と対話”の輪が夜を徹して続いた」と伝える=1969年8月撮影

 大阪・関西万博の開幕直前、展示物が届かず、パレスチナ側が「イスラエルの軍事占領」が遅配の理由とする説明書きをパビリオン(PV)内に設置したことについて、日本国際博覧会協会(万博協会)が差し替えや変更を求めていたことが判明した。歴史をたどると55年前の大阪万博でも、原爆を題材にした展示が「生々しすぎる」として、修正を迫られる事態が起きていた。【矢追健介】

1970年大阪万博の前年に…

 1970年大阪万博の開催に合わせ、国などが理想として掲げる「未来」とは「矛盾」する現実に、正面から向き合った人々がいる。開幕を翌年に控えた69年夏、大阪城公園(大阪市中央区)で開かれた「反戦のための万国博(ハンパク)」。当時の日本や世界が抱えていた社会問題に目を向けるべきだと考える市民によるイベントだった。

 67年、第3次中東戦争が起き、イスラエルがガザ地区やヨルダン川西岸地区などを軍事占領した。またベトナム戦争真っただ中で、若者を中心に世界各地で反戦運動が起きていた。国内でも水俣病やイタイイタイ病をはじめとした公害問題が深刻化。「ハンパク」では戦争、公害、貧困、薬害などをテーマに討論会や演劇、映画、アート展示が行われ、全国から延べ数万人が参加した。

「何をお祭り騒ぎしてんねん」

 ハンパクを主催した中心メンバーの一人、元大阪府議の山本健治さん(81)は「高度経済成長に取り残された…

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