「太き骨は・・・」惨状刻む歌 首相も引用 証言、表現物一体で後世に

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原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑。台座裏面の銘板に、正田篠枝の短歌が記されている=広島市中区で5日、宇城昇撮影
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑。台座裏面の銘板に、正田篠枝の短歌が記されている=広島市中区で5日、宇城昇撮影

被爆歌人・正田篠枝

 いつ読み返しても心を揺さぶられる。

 <太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり>

 広島の歌人・正田篠枝(1910~65年)が原爆の悲劇を詠んだ歌が今夏、話題を集めた。原爆の日の8月6日、平和記念式典で石破茂首相があいさつの最後に引用したことで、この歌を初めて知った人も多いだろう。浮かび上がる情景はあまりにも残酷で、詠み人の「忘れさせまい」という気迫が伝わってくる。

 この歌の元は、正田が47年に私家版歌集としてつくった「さんげ」に収録された1首だ。正田は爆心地の南東1・7キロの自宅で被爆した。「さんげ」には、自身が目の当たりにした光景や知人らの体験を題材に詠んだ100首を収める。迫真の31文字は、こま送りのように惨状を刻む。連合国軍総司令部(GHQ)による言論統制下、原爆被害の告発は身の危険を伴った。広島刑務所で150部をひそかに印刷し、知人らに手渡した逸話がある。

 <ズロースも つけず黒焦(こげ)の 人は女(おみな)か 乳房たらして 泣きわめき行く>

 <子と母か 繋(つな)ぐ手の指 離れざる 二ツの死骸 水槽より出ず>

 <焼死せし児が 写真の前に トマト置き 食べよ食べよと 母泣きくどく>

鬼気迫る歌の数々 原爆の怒り行動に

 一つ一つの歌に鬼気迫るものがある。正田は創作活動だけでなく「原水爆禁止広島母の会」の結成に加わるなど原爆への怒りを行動で示した。

 首相が引用した歌は、平和記念公園の南にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の台座に記されている。教え子を両腕に抱えて天を仰ぐ教師の像が印象的な碑は71年、国民学校(現在の小学校)の教職員と児童を悼んで建立された。

 私がこの歌を知ったのは20年近く前だ。故郷の広島に初めて赴任し、被爆者を訪ね歩く取材の過程で、70歳を過ぎて本格的に証言活動を始めた1…

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