「頑張って倒してみろ」
都市対抗野球大会組み合わせ抽選の日、JR四国(高松市)の新人、仲村光陽選手(22)の元に、対戦相手に決まった三菱自動車岡崎(岡崎市)で長年活躍した父からLINE(ライン)のメッセージが届いた。その言葉を胸に29日の初戦に臨む。
父耕三さん(50)は三菱自動車岡崎で強打の左の外野手として12シーズンプレーした。チームが都市対抗で最高成績となる準優勝だった2001年には首位打者賞に輝いた。15年までコーチを務め、その後は社業に専念している。
父のチームメートが今も
中学まで愛知県大府市で過ごした仲村選手は、4歳ごろから野球のボールに親しみ、東京ドームなどで父とチームを応援した。父のつながりでキャッチボールや食事もした三菱自動車岡崎の選手が今も在籍している。
耕三さんは尽誠学園(香川)時代、夏の甲子園で準決勝まで進出した。仲村選手も同校に進学し、父と同様の中軸打者に成長。「高校時代の自分より数段上」と耕三さんも評価していた。
コロナ禍で消えた甲子園出場
だが仲村選手にとって初の甲子園となるはずだった20年のセンバツは、出場が決まった後にコロナ禍で中止に。夏の全国大会も開催されず、関係者だけを甲子園球場に入れてセンバツ交流試合が実施された。仲村選手は、同点適時二塁打を放つなど活躍し、智弁和歌山に8―1で快勝したが、観戦した耕三さんは「試合開催に努力した関係者に感謝したい。でも今一つピンとこない感もあった」と率直な思いを語る。
「野球ができること、応援してもらえることは決して当たり前ではない」。コロナ禍などを経験し、仲村選手が高校時代に深く胸に刻んだ思いだ。
国学院大では4年生で主力に。しかし、3年生までの実績があまりなかったこともあり、野球を続けるための所属先探しで苦戦した。四国アイランドリーグplusでのプレーも考えていた昨秋、右打ちの内野手を探していたJR四国への入社が決定。高校時代を過ごした香川に戻り、父と同様の勝負強さで、次第に出場機会を増やしている。多くの観衆が見守る全国規模の大会は初めての経験となる。「楽しみしかないし、ワクワクしている」
父はどちらの席で応援?
耕三さんも会社の不祥事による部の活動自粛、三菱自動車の他地域の野球部への本社支援打ち切りなどを経験し、野球を続けられるのが当たり前でないことを身をもって知る。
それだけに「チームメートとの絆、企業人の誇りを感じながらしっかりプレーしてほしい」と、自らの現役時代と同じ背番号「28」を付けて社会人選手として歩み始めた仲村選手に期待する。
その一方で「組み合わせが決まった時は不思議な縁を感じた。社員、野球部OBとしてJR四国の応援席に行くことはできないので、バックネット裏で見るのがいいですかね」とうれしい悩みも抱えている。【矢倉健次】
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