拉致から47年の蓮池薫さん 当時を知らぬ高校生に明かす危機感

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生徒らからの質問に答える蓮池薫さん=南魚沼市で2025年7月23日午後4時7分、戸田紗友莉撮影 拡大
生徒らからの質問に答える蓮池薫さん=南魚沼市で2025年7月23日午後4時7分、戸田紗友莉撮影

 北朝鮮による拉致被害者で新潟産業大特任教授の蓮池薫さん(67)が、拉致被害から47年となるのを前に、新潟県南魚沼市の国際情報高校で講演した。蓮池さんは拉致問題が解決済みではない理由や北朝鮮での経験などを話し、「拉致問題の解決は難しい状況になってきたが諦めていないし、諦めちゃいけない。ぜひ関心をもってほしい」と訴えた。

 蓮池さん夫妻は1978年7月31日、柏崎市の海岸で拉致され、2002年10月に帰国した。なぜ北朝鮮が拉致をしたのかなどについて、他の拉致被害者らの話を引用しながら説明し、生徒らが耳を傾けた。

頭を殴られ袋詰め

 講演の中では自身の体験にも触れた。海岸でのちに妻となる祐木子さん(69)と2人でいたところ、「たばこの火いいですか」と声を掛けられた瞬間に頭部を殴られて袋詰めにされ、辺りが暗くなったのを見計らって船に乗せられたという。

国際情報高校で拉致被害者の蓮池薫さんの講演があった=南魚沼市で2025年7月23日午後3時6分、戸田紗友莉撮影 拡大
国際情報高校で拉致被害者の蓮池薫さんの講演があった=南魚沼市で2025年7月23日午後3時6分、戸田紗友莉撮影

 拉致後は祐木子さんとしばらく離ればなれになっていたが、再会後に結婚。2人の間には子どもが生まれたが、子どもには拉致被害者であることも日本人であることも言えなかった。

 「このまま俺の人生終わってしまうのか」と思っていたころ、日朝間で拉致被害者の帰国に向けた交渉が動き始めた。拉致から24年後に帰国し、04年には北朝鮮に残した子どもたちも来日することができた。当時の思いについて「子どもと再会できてうれしかったが、(北朝鮮が拉致したと認める)8人は誰も帰ってこず、肩身が狭い辛い思いだった」と語った。

「ら」の字すら出なかった参院選

 蓮池さんは講演の最後に拉致問題解決の条件についてこう締めくくった。「絶対に諦めないこと。日朝関係を改善して平和な社会を作るのは大賛成。でも拉致被害者を見捨てて、ぴょんと飛んでいくのは受け入れられない。拉致問題は国際的な問題でもあり、世の中の困難な問題を全部組み合わせた上で解決するのに、今回の参院選では拉致問題の『ら』の字すら出てこなかった。こんな状態で拉致被害者を救えるのか。そういった意味でも皆さんにぜひ関心を持ってほしい」

 講演を聴いた生徒からは「拉致問題という国家間の問題に自分が巻き込まれていると気付いたのはいつだったのか」という質問があり、蓮池さんは日本についての資料の中に自分のことが書かれているのを見つけたときだったと説明。「うれしい反面、北朝鮮に抹殺されてしまうのではという恐怖も湧いた」と明かし、「日本に帰国したころには情勢を判断できたので、日本に残る決断ができたと思う」と振り返った。

黒板を使いながら拉致問題が解決済みではない理由などについて話す蓮池薫さん=南魚沼市で2025年7月23日午後3時5分、戸田紗友莉撮影 拡大
黒板を使いながら拉致問題が解決済みではない理由などについて話す蓮池薫さん=南魚沼市で2025年7月23日午後3時5分、戸田紗友莉撮影

 同校3年の田村海來(みくる)さん(17)は「心に強く残る話だった。世代によって知識に差があるが、解決しないといけない大切さは変わらない。もうすぐ成人になるので関心を高めたい」と話した。

「大いに拡散して」

 講演後、取材に応じた蓮池さんは拉致されてから47年がたった今も拉致問題が解決しないことについて「心苦しい。その一方で、時がたてば全てが解決する、うやむやになってしまう(というような)、けじめのない社会にはしたくない。何年たっても色あせない真実が風化させない大きな力になる」と話し、「若い人に知ってもらうことは問題解決に不可欠。SNS(交流サイト)などで大いに拡散して、関心を持ってもらえたら」と期待を込めた。【戸田紗友莉】

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