
世界中の人たちに核兵器の恐ろしさを伝えようと、大阪の高校生たちが広島原爆の被爆体験を描いた紙芝居を約3カ月かけて100余りの言語に翻訳した。
戦後80年を経て戦争体験の継承が課題となる中、高校生らはこの夏、一つ一つの言葉と格闘しながら「平和」の意味に思いを巡らせた。
翻訳に取り組んだのは、大阪府立都島工業高校(大阪市都島区)のメカトロニクス研究同好会のメンバー11人。
同好会は普段、ロボット製作を活動の中心に据えているが、能登半島地震の被災者支援など社会貢献活動にも積極的に参加してきた。
顧問の木邨海奈斗(きむらみなと)教諭(26)は今春、能登半島地震の被災者支援を通じて知り合った地域新聞発行人で紙芝居制作者の吉村大作さん(45)=大阪市鶴見区=から、こんな思いを聞いた。「外国の人や若い世代にも広島・長崎の被爆を広く伝えたい」
吉村さんの思いに共感した木邨教諭は「生徒たちが平和について考えるきっかけになれば」と考え、同好会のメンバーに吉村さんとのやりとりを話した。生徒らも「自分たちにできることは何か?」と考え、翻訳への挑戦を決めたという。
「街は一瞬にして消え、家も学校も病院もなくなりました。街は跡形もありません。核兵器というとても恐ろしい爆弾が落とされたのです」
「あの時、死んでしまった人も、生き残った人も、その悲しみは何十年経(た)っても消えていません」

紙芝居、証言活動続ける女性がモデル
「ケイちゃんの消えない雲」(A2判、12ページ)は、8歳の時に広島で被爆し、英語での証言活動を続けてきた小倉桂子さん(87)をモデルにした作品だ。
小倉さんの体験を通じて、若い世代に戦争の悲惨さを伝え、平和を希求する内容となっている。
吉村さんは2022年、広島の原爆資料館を訪れた際に小倉さんと出会い、その活動に胸を打たれて、証言を紙芝居の形で後世に残すことにした。

吉村さんが文章をつづり、ウクライナから日本に避難してきた女性芸術家に絵を描いてもらって、日本語版と英語版を制作した。
翻訳作業は5月初旬にスタート。生徒らは大阪大空襲を経験した地元の女性から当時の様子を聞くなどして戦争への知見を深め、取り組みへのモチベーションを高めていった。
対象言語はフランス語やスペイン語といった主要言語から、南インドのタミル語、ナイジェリアで使われるイボ語などのマイナー言語まで、放課後に毎日2~3時間、パソコンの翻訳ソフトを使って作業を進めた。
だが、直訳した言葉を改めて日本語に直して点検すると、本来の意味と異なる表現になってしまうことが度々起きたという。
例えば、死体が「川を漂っていた」が「川を泳いでいた」となってしまうようなケースだ。この場合、「川に浮いていた」など、本来の意味と整合性がとれる言葉を探し出し、訳し直しては再確認する作業を繰り返した。
かみしめた平和の尊さ
「翻訳なんて初めてです。英語も大の苦手なので……」と2年の中嶋敬さん(17)。見聞きしたことのない言語もあって苦労したが、「外国語で戦争体験を伝えるなんて、めったにできない貴重な体験」と真剣に向き合った。取り組みを通して「何気なく過ごしている日常こそ大切で、ありがたい」と気づき、平和の尊さをかみしめている。
2年の塩野日陽(ひなた)さん(17)も「翻訳が難しくて頭が混乱することもあった」と語るが、「当時のことをもっと知りたいと思うようになった。87歳になる祖父に昔の話を聞いてみたい」と真剣なまなざしを見せた。
吉村さんは「被爆の悲惨さを世界に発信する土台ができた。高校生たちには翻訳を通して感じた平和への思いや決意を忘れず、次の世代につなげていってほしい」と話す。完成した翻訳と紙芝居は、ホームページ(https://www.no-nukes1945.jp)から誰でも閲覧・ダウンロードできる。【中川博史】
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