『淋しい熱帯魚』から36年…Wink鈴木早智子の現在 介護職員として奮闘した3年間「毎日とてもハードな現場」

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介護の経験をエンタメを通じて発信

 2000年に介護保険制度が創設され、今年で25年になる。しかし、介護を支える現場は人手不足の原因となっている低賃金や長時間労働などいまだ問題は山積みだ。紅白歌合戦にも出場経験のある女性アイドルデュオ・Winkの鈴木早智子は、コロナ禍だった2021年から3年間、介護職員として現場に携わった。現在は、介護の経験から学んだことをエンタメを通じ発信していく活動を行っている。彼女が介護の現場で見たものとは。ENCOUNTに特別手記を寄せた。(取材・構成=福嶋剛)

 私が介護の仕事を考え始めたのはコロナ禍でした。10代の頃からずっと芸能の世界で生きて来たからこそ、一般社会の中で何か貢献できることを見つけたいと思うようになりました。なぜ介護を選んだのか――。訪問看護を開業している友人からの依頼で、「コロナ禍で奮闘している職員さんたちに激励で歌ってもらえないかな?」いう相談を受け、「私の歌で励みになるなら……」という気持ちで介護士さんとスマホでつないでお話をしたり、歌を歌いました。そしたら職員さんから、とても喜んでもらいました。この体験が介護の世界に入るきっかけになったと思います。

 大変だと言われている介護職ですが、実際に現場を経験してみないと本当の大変さも分からない。そんな思いから現場に飛び込みました。実際、面接をすると、芸能人だと分かってしまいました。ちゃんと事情をお話して、「管理職以外の人には内緒にしてもらい、私はいち職員として働きたい」と伝えました。最初はグループホーム(認知症対応型共同生活介護)で1年間働きました。女性の管理職の方はとても優しい方ですぐに現場に慣れました。でも人の命を預かる仕事ですから毎日とてもハードな現場でした。目の前のことをやることで精一杯でほかに考える余裕もないくらいバタバタしていました。

 グループホームで1年間働き、そのまま長くやることも考えましたが、介護は、これから他人事ではなくなる時代がくるって現場でも感じました。それで「いつか私の経験を多くの方に伝えよう」と思い、できるだけいろんな現場を経験してみることにしました。それで2年目はサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に移りました。夜勤専門で夕方の4時半から翌朝9時半まで6階建ての建物に住んでいた20人前後の人をたった1人で見るという激務を体験しました。

 お薬、排便の順番など、深夜12時までバタバタと動き回り、みなさんが寝静まったところで、その日の作業や利用者さん全員の状況をカルテに書き込みます。ようやく落ち着いて休憩できるのがたったの1時間くらい。その間も突然のコールで呼ばれたり、勝手に部屋を出ちゃう方もいて、実際は仮眠なんてとんでもないです。そうこうしているうちに休憩時間が終わり、清掃が始まり、利用者さんのバイタルチェック(体温、脈拍、呼吸数、血圧など健康状態の確認)、そして、朝番の方が来るまで朝食の準備が始まり、食堂のある階まで利用者さんをお連れします。ここまで1人で全てをやっていました。

 朝の“格闘”が終わると次は排泄の介助、ゴミの分別、お風呂、洗濯、デイサービスにお連れする準備……。毎日、足がガクガクで家に帰ると気絶するように寝ていました。始めて2、3日が経って、さすがに命を預かる仕事なのに全て1人でやるのは負担が大き過ぎると思い、職員さんに「ちょっと時間が全然足りなくて、このままだと心配です」って正直に打ち明けました。そしたら「大丈夫です。慣れますから」と言われ……。「えー、どうしよう」って思ったんですが、人間どうにかなるもので、しばらく頑張ると、すぐに慣れました。

 3年目は、特養(特別養護老人ホーム)で約1年働いて日勤を担当しました。ここでも本当に人手が足りない現実に直面しました。やっぱり精神的なストレスが大きくてすぐに辞めてしまう人が多いことが分かりました。常に人手が足りないから、頻繁に面接をやるんですが、入ってもすぐに辞めてしまう人が多く、後を絶ちません。

 特養はサ高住よりも利用者さんの手となり足となる必要があって、例えば入浴も午前と午後の2回、それだけでものすごく体力が消耗しますし、他にも食事の片付けや洗濯、排泄など次々とやることがあって、息ができなくなるくらいの毎日を過ごすことになります。
 そんな忙しい業務の中で、大変な中でも楽しく仕事ができる工夫として「どうやったら利用者さんを笑顔にできるかな」っていつも考えていました。

相手を知ろうという気持ちがあれば、どんな形でも意志疎通ができる

 利用者さんの中には、しゃべることが苦手で意思疎通ができない方がいました。その人に、あいうえおを書いたボードを見せたんですが見向きもしなくて、長い間悩みの種でした。ある日、別の職員さんに聞くと分からないんじゃなくて練習するのが嫌で面倒くさかっただけだと分かりました。じゃあ、どうしたらいいかなと考えて、旦那さんが来る時はいつも喜んでいたので「旦那さんが喜んでくれるから、頑張って声を出してみましょう」と言ったら、今まで全く喋らなかったのに、「はい」って頷いてくれたんです。その後、私が施設を辞めてしばらくして久しぶりに訪問した時、あの、“あいうえおのボード”を引き継いでくださって、利用者さんがやっていたんですよ。それを見てすごく感激しました。

 他にもいろいろとやってみました。意志疎通ができるできないに関係なく簡単に相手と通じ合える、じゃんけんを欠かさずにやって笑顔を大切にしたり、「この人は○○が大好き」「この人は○○で喜んでくれる」って調べて、短い時間でも一人ひとりに寄り添うことを心がけました。同じことを全員にしても、全員がそれを求めているとは限らないんです。だから自分から相手を知ろうという気持ちがあれば、どんな形でも意志疎通ができるって思いました。そうやって相手が喜んでくれたり、笑ってくれた瞬間が、私の唯一の癒しでどんなに疲れていても幸せでした。

 昨年6月に特養を辞めて、1年が経ちます。現在はこれまでの介護職員としての経験をエンタメを通じて伝えていけるよう、地道に取り組んでいます。

 介護って本当に繊細な問題だなってこの数年間で身をもって知りました。もちろん大きな問題は私一人の力ではどうにもならないこともあります。でも私にもできることもあると感じました。

 Winkの鈴木早智子という肩書きで見てくださる方がたくさんいらっしゃると思います。確かにそれはうれしい反面、みなさんが思っている以上に私は地味というか……今は介護に携わる方々が貯めこんでいるストレスを少しでも吐き出せる場所を作りながら、こうやって介護の現状を1人でも多くの方に発信していけたらいいなと思っています。

□鈴木早智子(すずき・さちこ)1969年2月22日生まれ、東京都出身。87年、雑誌『UP TO BOY』主催のミス・アップ・コンテストで第7代グランプリを獲得。88年、相田翔子とアイドルデュオ・Winkを結成し、同年4月に1stシングル『Sugar Baby Love』で歌手デビュー。89年、5枚目のシングル『淋しい熱帯魚』で第31回日本レコード大賞を受賞した。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。96年3月、Winkの活動休止に伴い、ソロシンガー、俳優として活動を開始する。2021年から3年間、介護職員を経験し、現在はタレント活動と並行して介護に関する活動を行っている。愛称はさっちん。福嶋剛

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