「つらくて読めなかった」硫黄島からの父の手紙 ひもといた娘の思い

Date: Category:速報 Views:3 Comment:0
太平洋戦争中に父巍さんが送った手紙を手にする佐々木寛子さん=京都府宇治市で2025年4月17日午後1時55分、太田裕之撮影
太平洋戦争中に父巍さんが送った手紙を手にする佐々木寛子さん=京都府宇治市で2025年4月17日午後1時55分、太田裕之撮影

 太平洋戦争末期、日本軍が軍事拠点とした島々では守備隊の壊滅が相次いだ。

 そうした激戦地から兵士が出した私信が残るケースは少ない。今回確認された、硫黄島(東京都小笠原村)で戦死した佐々木巍(たかし)さんが内地の留守家族に送った大量のはがきと手紙からは、最前線で兵士がどんな思いで日々を過ごしていたかや、留守家族の暮らしぶりが明瞭に読み取れる。

 <関連記事>
 硫黄島からの手紙、検閲かいくぐり家族へ 遺族保管の17通 初公開

娘の成長ぶりを楽しみに

 巍さんの妻、愛さんと長女の寛子さん(81)に宛てられた手紙とはがきで、寛子さんの手元に残るのは計17通。発着日のほか、受け取った愛さんが記したと見られる「第○信」の記載などから、発送時期がおおむね分かる。

 第2信を除き、寛子さんに関する記述が確認できる。「第1信」は出征直後の1944年6月25日。発信地は甲府だった。生まれて間もなく離れ離れになった娘を思ってか、2文目に早速「寛は元気ですか」とある。

 一部を除き、ほとんどが横書きで、親戚きょうだいへのあいさつ、牧師をしていた教会や園長を務めていた幼稚園・保育園の運営に関する心配…

Comments

I want to comment

◎Welcome to participate in the discussion, please express your views and exchange your opinions here.