
太平洋戦争末期、日本軍が軍事拠点とした島々では守備隊の壊滅が相次いだ。
そうした激戦地から兵士が出した私信が残るケースは少ない。今回確認された、硫黄島(東京都小笠原村)で戦死した佐々木巍(たかし)さんが内地の留守家族に送った大量のはがきと手紙からは、最前線で兵士がどんな思いで日々を過ごしていたかや、留守家族の暮らしぶりが明瞭に読み取れる。
娘の成長ぶりを楽しみに
巍さんの妻、愛さんと長女の寛子さん(81)に宛てられた手紙とはがきで、寛子さんの手元に残るのは計17通。発着日のほか、受け取った愛さんが記したと見られる「第○信」の記載などから、発送時期がおおむね分かる。
第2信を除き、寛子さんに関する記述が確認できる。「第1信」は出征直後の1944年6月25日。発信地は甲府だった。生まれて間もなく離れ離れになった娘を思ってか、2文目に早速「寛は元気ですか」とある。
一部を除き、ほとんどが横書きで、親戚きょうだいへのあいさつ、牧師をしていた教会や園長を務めていた幼稚園・保育園の運営に関する心配…
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