あれもこれも見てほしいと熱烈に歓迎された旅だった。
天皇、皇后両陛下が訪問されたモンゴルは経済成長が著しい。国の勢いそのままに、遊牧民族の誇りをかけたおもてなしが続いた。
その中で、日本人抑留犠牲者の追悼だけは色が違うような、ゆっくり時が流れているような、静かさがあった。
歓迎ムードの裏で
「超がつくほど親日国」。外務省関係者はモンゴルをこう評する。政府要人が頻繁に来日し、経済や文化、教育など多様な分野で活発な交流が続く。
度重なるモンゴル側の要請に応え、両陛下は歴代天皇、皇后として初めて訪問した。
青と赤の制服が色鮮やかな儀仗(ぎじょう)隊の出迎え、勇壮な馬の曲乗りや仮面舞踊、羊肉料理。7月6~13日の滞在中、行く先々でフレルスフ大統領夫妻やバトツェツェグ外相が出迎えた。
アジア屈指の友好関係に今は見えるが、さかのぼれば戦争の歴史がある。世界情勢を見れば、モンゴルの置かれた苦しい立場は今も続く。歓迎ムードの裏で、日本政府側は現地の反応に神経をとがらせていた。
1939年、日本軍が占領していた旧満州(現中国東北部)とモンゴルの国境で、日本軍と旧ソ連・モンゴル軍が衝突。日本ではノモンハン事件と言われる。第二次世界大戦では45年8月10日、ソ連に続きモンゴルが日本に宣戦布告した。
戦後、約60万人がソ連の捕虜となり、約1万4000人がモンゴルに送られた。ウランバートルの都市建設など強制労働に従事し、約1700人が亡くなったと推計されている。
晩さん会で奏でた「浜辺の歌」
両陛下は滞在3日目の8日午後、ウランバートル郊外の丘陵地、ダンバダルジャーにある慰霊碑に白い花を供えた。昼前から断続的に雨が降っており、黒い傘を差しながら1分間黙とう。祖国に帰れなかった人たちを悼んだ。
黙とうが終わり、振り返って階段を下りようとした時、両陛下の歩みが止まった。
「雨が上がりましたね」
そう気がついたのは皇后雅子さまだったという。お二人で相談し、傘を下ろしてもう一度慰霊碑に向かうと、再び深く頭を下げた。心のこもった追悼だった。
この日の夜、陛下は晩さん会でビオラの演奏を披露した。馬頭琴と協演したのは唱歌「浜辺の歌」。大型ビジョンに映像がまたたく会場に、心を静めるような旋律が響いた。
海のない国でなぜ「浜辺の歌」を奏でるのか。記者の問いに宮内庁は説明を避けた。だが、この曲には、シベリア抑留者たちが故郷を思って歌い、心を癒やしたというエピソードがある。
慰霊について深く語った日本国内での記者会見と違い、陛下のおことばにも戦争や抑留への直接的な言及はなかった。
日本の外務省関係者は「日本メディアは戦後80年に絡め、慰霊を大きく扱う。モンゴル国民からノモンハンの犠牲者も弔えなどと批判が出ないか懸念していた」と打ち明ける。
両陛下の慰霊、現地の反応は?
モンゴル要人を前に日本側が「戦争」「抑留」に言及しなかった理由の一つは、これからの友好親善に重点を置くためなのだろう。加えて、モンゴルが日本側の歴史観に寄りすぎる態度に見えないようにする配慮もあったのではないだろうか。
モンゴルの後ろにはロシアがいる。2024年9月、ロシアのプーチン大統領はモンゴルを訪問し、ノモンハン事件の85周年記念式典に出席した。国際刑事裁判所(ICC)がウクライナ侵攻に絡む戦争犯罪容疑でプーチン大統領に逮捕状を出しているが、モンゴルは逮捕しなかった。
社会主義で一党独裁だった政治から民主化したモンゴルは、市場経済に移行した今もなお、ロシアの影響を強く受けている。石油の約9割がロシアからの輸入であるなどエネルギーの供給を握られている。ロシアに強く出られない複雑な情勢が続く。
結局、モンゴル側の報道も交流サイト(SNS)の反応も両陛下の慰霊への批判は広がらなかった。随行者の一人は「モンゴルの旅を全身で楽しまれるお二人の笑顔が、好意的に伝わった効果もあるのではないか」とみる。
知られざる史実を照らし
ウランバートルで抑留の歴史を伝える資料館「さくら」を運営するウルジートグトフさん(48)によると、ほとんどいなかった日本人観光客が、両陛下のモンゴル訪問後に早速来館した。
戦後80年の今年、両陛下の抑留者慰霊は、あまり知られていなかったモンゴル抑留という史実に光を当てた。
一方、今なお身元が特定されていないモンゴル抑留の死者が200人ほどいる。モンゴルの公文書館などで機密記録を入手し、日本政府も知らなかった死亡者の情報を遺族に伝えてきた元読売新聞記者の井手裕彦さん(70)は「無名のままの戦死者が残っているうちは戦後は終わらない」と話す。
井手さんは、新たな埋葬地の情報も厚生労働省に提供してきた。政府の責任でモンゴルと交渉し、情報提供を求めて調査し、その過程や結果を丁寧に説明すべきだと指摘する。
戦争の歴史を直視する姿勢、忘れない思いは一部の人だけが背負うものではないはずだ。両陛下がそっとともした光を消さないために何ができるだろうか。それを考えながら今年の8月15日を迎えようと思う。【山田奈緒】
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