第107回全国高校野球選手権大会(日本高野連など主催)に6年ぶりに出場する津田学園の佐川竜朗監督(47)は「高校野球は嫌いだった」という。自らの経験に疑問を感じながら、実践したこともあった。だが、時代に合わせて考え方や指導も変え、「自分たちで考えさせること」を意識することで選手たちの成長を促した。
甲子園出場を懸けた今夏の三重大会決勝で象徴的な場面があった。1点リードの八回に無死満塁のピンチを迎えた。佐川監督は同点に追い付かれても確実にアウトを取るため、「後ろで守れ」と指示した。
だが、「1点も取らせる気はない。前で守りたい」という選手たちの意見を尊重した。迎えた打者の打球を前進守備だった遊撃手が捕球すると、迷わずボールを本塁、一塁に転送して併殺に仕留めると、続く打者も遊ゴロに打ち取り、無失点で切り抜けた。
佐川監督が目指す「生徒たち自身で考える野球」を実践したプレーだった。
大阪府出身の佐川監督は強豪のPL学園に進学し、3年生だった1996年夏には甲子園に出場した。だが、日ごろから上下関係が厳しく、緊張感は日常生活にも漂った。「甲子園に行ってこそ高校野球。しゃべる時間も無駄」と先輩と野球について意見を交わすこともなかったという。
明治大、日本通運で野球を続け、引退後は指導者に転身すると、2008年に津田学園の監督に就任した。自らの経験も踏まえ、当初は「ガンガン練習し、怒って活を入れる」指導を行った。
だが、選手は付いてくることなく、成績も伸び悩んだという。「このままでは勝てない」と思った佐川監督は自らが「嫌い」に感じていた部分を変えることにした。
意識したのは対話だ。監督から指示するだけでなく、選手たちの意見も聞くようにした。選手から話しかけやすくするため、三重の言葉遣いに変えたという。
また、自宅の一部を寮にして選手を受け入れることにした。家族のように接しながら、選手が全力で野球を楽しめることを目指した。
成績も上向いた。就任前に甲子園は春に2回出場していたチームは2017年に夏初出場を果たし、19年には春夏連続出場した。6年ぶりに甲子園にたどり着いた現在のチームも、佐川監督から話しかけられた恵土湊暉主将が「いいっすね」と返事するなど、壁を感じさせない。
三重大会で選手の成長を実感して臨む3回目の夏の甲子園。7日は叡明(埼玉)との初戦を迎える。大舞台でのプレーを選手たちが楽しめることを願って、ベンチから見守る。【長谷山寧音】
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