
1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で40年となる。単独機の事故としては世界最悪の乗客乗員520人が亡くなった。その遺族の中には、歳月を経てようやく事故と向き合えた人がいる。
85年8月12日午後6時12分、日本航空123便は伊丹空港に向けて羽田空港を離陸し、同6時56分に群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に墜落した。毎年、この地に多くの遺族が足を運び、慰霊碑の前で手を合わせる。
兵庫県西宮市の小西正明さん(70)が毎年通うようになったのは、事故から30年近く経過した2014年からだった。小西さんは、出張帰りだった父義員(よしかず)さん(当時58歳)を亡くした。
父は阪急電鉄の技術者で、自宅でも図面を引くほど仕事熱心だった。家族思いで面倒見が良く、母と弟と一緒にマージャンをしてよく遊んだ。父は酒が好きだった。千鳥足で帰宅した日、買ってきたケーキの飾りやクリームが崩れ、家族で大笑いしたこともあった。
事故は、そんなささやかな日常を奪った。
小西さんが最後に言葉を交わしたのは事故の9日前。食中毒になって救急車で運ばれた時、父は同乗し、入院先まで付き添ってくれた。ベッドに寝転がって少し落ち着いた姿を見て、父は「もうええやろ、帰るわ」と言い、小西さんは「ありがとう」と返した。
一報は病室で
墜落機に乗っていたことは当日の夜に病室で知らされ、…
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