韓国・朝鮮BC級戦犯の苦難忘れない 「不条理」訴え続けて70年

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「応援してくれる日本の方々がいるから、これまで頑張ってこられた」と語る同進会の朴来洪会長=東京都新宿区の高麗博物館で、日本大・田野皓大撮影 拡大
「応援してくれる日本の方々がいるから、これまで頑張ってこられた」と語る同進会の朴来洪会長=東京都新宿区の高麗博物館で、日本大・田野皓大撮影

 太平洋戦争の敗戦後、BC級戦犯として裁かれ、有罪となった日本軍関係者は約4400人。その中には、当時日本の植民地だった朝鮮と台湾の出身者が321人含まれていた。韓国・朝鮮人BC級戦犯の救済を求めて結成した「同進会」が結成されてから今年で70年。同会の朴来洪(パクネホン)会長(69)と、支援団体「同進会を応援する会」世話人の大山美佐子さん(57)から活動の軌跡と課題を聞いた。【東京都立大・小野将京(キャンパる編集部)】

 6月22日、東京・新大久保の高麗博物館で、BC級戦犯とされた父を持つ在日2世の朴会長の講演会が開かれた。日本と朝鮮半島との交流の歴史を展示する同博物館では、9月28日まで「なぜ『朝鮮人』が戦犯になったのか」という企画展を行っている。

 講演会には、世代もさまざまな40人以上が集まり、同進会を結成したメンバーらの思い出を語る朴会長の話に耳を傾けた。朴会長が懐かしむ「良い思い出をたくさんつくってくれた、本当に良いおじさんたち」のエピソードと、彼らがBC級戦犯として背負った苦難の歴史が、強烈なコントラストになっていた。

講演会には40人以上が訪れ、BC級戦犯とされた方々の人間らしいエピソードに笑いも起きた=東京都新宿区の高麗博物館で、明治大・山本亮撮影 拡大
講演会には40人以上が訪れ、BC級戦犯とされた方々の人間らしいエピソードに笑いも起きた=東京都新宿区の高麗博物館で、明治大・山本亮撮影

捕虜の監視役で動員

 BC級戦犯とは、第二次世界大戦終結後に行われた戦争裁判で連合国に裁かれ有罪となった戦争犯罪人のうち、指導者が対象であるA級を除く人々を指す。捕虜虐待や民間人迫害など戦時中の行為を罪に問われた。日本国外の人がBC級戦犯に名を連ねたのは、日本が戦線を拡大する過程で、当時植民地だった朝鮮や台湾から捕虜の監視員として動員された人が多かったからだ。

 高麗博物館が企画展に合わせて発行した書籍によると、当時の日本軍は敵軍の捕虜になることを恥とし、タブー視したことから、朝鮮、台湾出身の監視員は捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約の存在を教えられていなかった。戦争裁判では捕虜から不利な証言をされても、母国語の通訳がつかない状況ではまともな反証は不可能だったという。結果、有罪となった韓国・朝鮮人148人のうち刑死者は23人を数えた。

偏見と貧困に苦しんだ戦後

 戦後も韓国・朝鮮人BC級戦犯の苦難は続いた。釈放された後も朝鮮戦争の影響や、同胞からも日本軍の協力者とみなされたことで帰国を断念する人々が続出。また日本国籍を剥奪された彼らは軍人恩給や遺族年金の対象からは外されており、苦しい生活の中で差別・偏見に苦しみ、自殺者まで出た。

日本国籍を持たないBC級戦犯の救済を求め、首相官邸前で行われた要請行動(1955年)の様子=同進会提供 拡大
日本国籍を持たないBC級戦犯の救済を求め、首相官邸前で行われた要請行動(1955年)の様子=同進会提供

 1955年、釈放された人、服役中の人約70人で結成された同進会は、生活保障、刑死者の遺骨送還、国家補償を求めて活動を始めた。名称には、一人の脱落者も出さずに共に生きていこうという思いが込められている。

 「都合のいい時は『日本人』、そうでない時は『外国人』として切り捨てる。あまりにも不条理だ」。同進会は政府に何度も要望書を出してきたが、その訴えは通らなかった。65年の日韓基本条約締結後、政府は「補償問題は条約で解決済み」との姿勢を鮮明にし、同進会の訴えは門前払いを受けるようになった。実際は、協議対象から外されていたと後で分かる。

無理と言われても諦めない

 業を煮やした同進会は91年、政府に謝罪と賠償を求めて提訴したが、99年に最高裁で敗訴が確定。2008年には野党の民主党を中心に、特別給付金を支給する法案が出されたが、廃案となった。その後、超党派の日韓議員連盟などが立法を目指しているが法案提出には至っていない。

国家補償等請求裁判の提訴に向かう原告団(1991年11月12日)=「同進会を応援する会」提供、裵昭さん撮影 拡大
国家補償等請求裁判の提訴に向かう原告団(1991年11月12日)=「同進会を応援する会」提供、裵昭さん撮影

 朴会長は、同進会結成メンバーだった父のもとを訪ねてくる同じ戦犯当事者の仲間に囲まれて育った。在日コリアンの一部からも日本軍の協力者として扱われるような状況の中でも、「謙虚で真面目で、お酒とお話が大好き」な父とその仲間たちのために、活動を続けてきたという。

 終戦から80年がたっても一向に救済は進まない。その現状を悲観して、戦犯とされた人の子の中には立法の実現を諦める声もあるという。だが朴会長は「もう無理だよと言われて、おとなしく『はい』と言えるような性格ではない。応援する会の助けもあって、この問題を知る人が増えたり、韓国国内での理解が進んだりしている」と地道な活動が結実していることに胸を張る。

 一方で、救済立法や謝罪も大事な目的としながらも、「父親たちのための法の成立が、反省と教訓という形で日本の平和にも必ず役立つ」と話し、同進会の活動が、過去を直視し、平和を守ることへつながるという思いを語った。

「同進会を応援する会」世話人の大山さんは、韓国・朝鮮人BC級戦犯問題に限らず、世界に残る差別構造への怒りを記者に語った=東京都新宿区の高麗博物館で、日本大・田野皓大撮影 拡大
「同進会を応援する会」世話人の大山さんは、韓国・朝鮮人BC級戦犯問題に限らず、世界に残る差別構造への怒りを記者に語った=東京都新宿区の高麗博物館で、日本大・田野皓大撮影

記憶継承に危機感

 そんな朴会長や同進会の活動を、大山さんは、前身の「韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会」の91年の結成から支えてきた。同僚に誘われて同進会の総会に参加したことがきっかけだった。「不本意なことを命じられた、普通で真面目な人たちが罪に問われなければならなかったのはなぜか、今の自分と無関係には思えない」と語る。

 2人の強い思いの裏には、記憶の継承に対する懸念がにじむ。21年3月に死去した李鶴来(イハンネ)前同進会会長が最後の戦犯当事者だった。そもそもBC級戦犯の汚名を着せられた人が、子どもたちにつらい思いをさせたくないと、自らの経験を伝えないという選択をとった事例も多い。大山さんによると、91年に始まった国家補償等請求裁判で初めて夫や父親の経験を知った配偶者や2世も少なくなく、それよりも若い世代には、記憶の継承が進んでいないという現状がある。

高麗博物館の企画展では、韓国・朝鮮人BC級戦犯問題に関する資料が網羅的に、時系列順で展示されている=東京都新宿区の同博物館で、日本大・田野皓大撮影 拡大
高麗博物館の企画展では、韓国・朝鮮人BC級戦犯問題に関する資料が網羅的に、時系列順で展示されている=東京都新宿区の同博物館で、日本大・田野皓大撮影

次の世代に伝えたい

 講演会の聴衆は高齢者が目立ったが、記者と同世代の姿も複数見られた。立教大学の学生たちで、ゼミの教授の紹介で講演会の存在を知ったという。韓国からの留学生だという4年生は「問題の存在は知っていたが、同進会のことは知らなかった。自分も関わっている映画祭に生かしていきたい」と話した。

 日本人の4年生は「戦犯者の個人的なエピソードなど、知らなかったことだらけだった。もっと知っていけたらよいと思う」と語った。同じく立教大生で、関東大震災に関するフィールドワークで朝鮮人の人権問題に関心を持ったという3年生は、講演から「パレスチナ問題などの、世界で起こっている問題にもつなげて考えられる。歴史を学んで、過ちを二度と繰り返さないようにしたい」と感じたという。

 朴会長は、「本当の平和を実現するためには過去にあったことを反省して、若い人に伝えていくのが上の世代の役目だと思う。父親たちの問題を、次の世代の人たちにもっと理解してもらうために頑張り続ける」と、これからの目標を語ってくれた。

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