
愛知県知多半島の古刹(こさつ)に92体の像が並ぶ。戦没した我が子を慰霊するため、遺族が建立したものだ。生前の写真を基に作られており、表情は一つ一つ、異なる。
南知多町にある中之院。「軍人像」は各地にあるが、ここまでまとまった数があるのは全国でも珍しい。
戦没者の慰霊をテーマに研究する愛知県護国神社資料編さん室研究員の元杭和則さん(47)によると、ほとんどは1937年の上海上陸作戦で戦死した名古屋第3師団歩兵第6連隊の兵士たちだ。
遺族が遺族一時金を持ち寄り、制作を依頼。岐阜県中津川市出身の造形作家・浅野祥雲氏(1891~1978年)が、兵士の生前の写真をもとに建立した。
大半がコンクリート製で、大きさは約50~約180センチ。戦局が悪化してからはコンクリート像の柱となる金属が不足し、小さくなっていったという。
戦後、進駐軍に取り壊しを命じられたものの、僧侶が「国のために死ぬということはアメリカも日本も変わりはない。日本人の手で壊すことはできない」と訴え、軍人像を守ったとのエピソードが語り継がれている。
住職の石田公美さん(78)によると、当初は名古屋市千種区の寺にあったが廃寺となったため95年、中之院で引き取った。

軍人像と並ぶ石碑には、「英霊ニ捧ル詩」が刻まれている。
<きょうもさむい 雪がふる われらは無言で たっている 花はさけども ぼちはさかず きょうもあつい 水はなし かぜがつよい かれはがおちる また冬がくる やどはなし よろこびも かなしみも>
今年で戦後80年。「俺たちを忘れないでくれ」。そう訴えかけているような軍人像を見ようと、多くの人が古刹を訪れるという。【黒田麻友】
アクセス
愛知県南知多町山海土間53。名鉄知多新線・内海駅から車で約15分。
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