分業進む高校野球 明暗分かれた4人の「エースで4番」 夏の甲子園

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【小松大谷-創成館】一回表小松大谷2死三塁、江守が適時打を放つ=阪神甲子園球場で2025年8月5日、玉城達郎撮影 拡大
【小松大谷-創成館】一回表小松大谷2死三塁、江守が適時打を放つ=阪神甲子園球場で2025年8月5日、玉城達郎撮影

 高校野球の花形「エースで4番」は今春のセンバツ大会はゼロだったが、今夏の甲子園大会では5日の開幕試合から登場し、12日までに4人を数えた。

 ナイター開催となった開幕試合では小松大谷(石川)のエース左腕・江守敦士が4番として一回2死三塁の好機で中前に適時打を放ち、先取点をもたらした。

 しかし、先発投手としては二回に創成館(長崎)打線に連打で同点とされると、三回には3安打を許して2失点。この回途中でマウンドを降り、一塁手として出場を続けたが、試合はこのまま1―3で敗れた。

 今春のセンバツ大会では投手を下位打線で起用するチームが目立った。優勝した横浜(神奈川)のエース左腕・奥村頼人は「4番・右翼」または左翼で出場し、救援でマウンドに上がったが、先発登板はなかった。

 春夏の甲子園大会で「4番・投手」の先発出場がゼロだったのは、1970年以降では初めてだった。

「4番・投手」は減少傾向

1978年の夏の甲子園で「4番・投手」で活躍したPL学園の西田真次=阪神甲子園球場で 拡大
1978年の夏の甲子園で「4番・投手」で活躍したPL学園の西田真次=阪神甲子園球場で

 夏の甲子園大会で、大会中に1試合でも「4番・投手」で先発出場した選手の人数は70年以降では73年と78年が最多の10人。78年はPL学園(大阪)の西田真次(後に真二)、南陽工(山口)の津田恒美(後に恒実)らが該当する。83年は池田(徳島)の水野雄仁ら8人。2004年は千葉経大付の松本啓二朗ら9人だったが、05年以降は多くて6人で、06、19年は1人だった。

 少なくなってきた要因は、2番に強打者を置くなど打順における価値観の変化に加え、選手たちの気質の変化を挙げる指導者もいる。いわゆる「お山の大将」的なキャラクターが減り、「ダブルキャプテン制」のように責任を一人に背負わせないチーム作りを目指す高校も増えた。

 さらに、投手には「1週間500球以内」とする投球数制限が導入されるなど、健康管理対策が進む時代背景もある。日本高校野球連盟の指名打者(DH)制採用には投手の負担軽減を図る狙いもある。高校野球で投打の分業が進む現状を象徴していると言える。

来春からDH制導入

 今大会で「4番・投手」として先発出場したのはいずれも3年で、小松大谷の江守の他、青藍泰斗(栃木)の永井竣也、未来富山の江藤蓮、尽誠学園(香川)の広瀬賢汰だった。

 尽誠学園の西村太監督は大会前に「春は広瀬の6番も試したが、チームが不安定だった。大黒柱を4番に固めたことで土台ができた」と話していた。

 12日の2回戦の東大阪大柏原戦では6安打完封。打っては五回に貴重な追加点となる2点適時打を放ち、23年ぶりの勝利に導いた。

 35年ぶり出場だった青藍泰斗は左腕エースの永井が1回戦の佐賀北戦で先発したが、制球が定まらずに三回途中3失点で降板し、中堅守備に回った。

 六回から再び上がったマウンドでは好投したが、延長十回タイブレークの末に敗れた。打席では2度の得点圏の場面を含め、無安打に終わった。

【高川学園-未来富山】未来富山の先発・江藤=阪神甲子園球場で2025年8月11日、岩本一希撮影 拡大
【高川学園-未来富山】未来富山の先発・江藤=阪神甲子園球場で2025年8月11日、岩本一希撮影

 春夏初出場の未来富山の江藤は最速145キロを誇り、18歳以下日本代表候補にも選ばれたプロ注目左腕。2回戦の高川学園(山口)戦で11安打を浴びて、六回途中8失点(自責点7)で降板。右翼守備に回り、九回の打席では自身初安打となる適時打を放ったが、試合は敗れた。「投げ勝ちたかった気持ちはあったが、自分の力がなかった」と声を落とした。

 勝利には大黒柱の活躍が欠かせず、明暗がはっきりと分かれた。

 来春のセンバツ大会からはDH制が導入されるため、投手を打席に立たせず、投球に集中させることを選ぶチームも出てくるだろう。大きな変化を目前に控える中で「エースで4番」の「二刀流」球児の奮闘が注目される。【皆川真仁、村上正】

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