
「武勲艦」とは、戦争で活躍した軍艦を指す。「雪風 YUKIKAZE」は、大日本帝国海軍屈指の「武勲艦」である「雪風」で戦った兵士たちの物語だ。記者(栗原)は実際に「雪風」に乗船し生還した元兵士に取材した。その証言を踏まえて、映画に描かれたこと、そして描かれなかった戦争の真実を検証したい。
特攻作戦にも参加した「何でも屋」
軍艦には大きさなどによって「階級」があった。大きい順に「戦艦」「巡洋艦」「駆逐艦」などがあり、「雪風」は駆逐艦だ。戦艦や巡洋艦より小型で武装も劣っているが、速く小回りがきいた。戦闘はもとより、兵士や物資を運ぶ輸送船団の警備、その輸送船代わり、あるいは撃沈された友軍兵士救助などにも動員された。「何でも屋」のように使われた。
「雪風」は1940年の完成。41年12月の太平洋戦争開戦直後から、最前線で戦った。ミッドウェーやガダルカナル争奪戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦など帝国海軍の主要戦闘に参加。さらに45年4月、戦艦「大和」以下10隻からなる海上特攻作戦にも加わった。
これは、沖縄に上陸した米軍を撃破すべく派遣された艦隊で、結果的に帝国海軍最後の艦隊作戦となった。当時、艦船だけでなく燃料も枯渇しつつあった。
運と乗員の技量が支えた生還
このため、「大和」以下は「片道燃料」での出撃が命じられていた。現場の判断で往復可能分の燃料が搭載されたが、命令はあくまでも生還を求めない「特攻」だった(拙著「戦艦大和 生還者たちの証言から」岩波新書)。
映画は、こうした「雪風」が参加した主要作戦の場面が描かれる。「雪風」は「幸運艦」とも呼ばれたが、「世界最大・最強」と言われた戦艦「大和」をはじめ、他の艦船が次々と撃沈される中で生き残ったのは、確かに運も作用しただろう。
しかし本作で描かれた、竹野内豊が演じる艦長の寺澤一利(実際の「雪風」艦長は寺内正道)、兵士らを束ねる先任伍長・早瀬幸平(玉木宏)、若い兵士、井上壮太(奥平大兼)らの働きぶりからは、「雪風」の活躍は運だけではなく、乗員たちの能力に負うところが大きかったことがうかがえる。
元魚雷発射管射手の軌跡
経験が浅く、先輩たちに支えられながら懸命に戦う井上は、観客の視点の代わりとなって戦場の極限状況を伝えている。この井上は、元「雪風」乗員で記者がたびたび話を聞いた…
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