
広島、長崎に原爆が投下され、長く続いた戦争が終わった1945年8月15日から80年。でも日本にとって本当に「あの戦争」は終わったのでしょうか? 栗原俊雄記者は、空襲などの一般国民の犠牲への補償は今も十分に行われないままで、「広義の戦争は終わっていない」と指摘します。「戦後」を「新たな戦前」にしないためにも、これからもずっと、国民を置き去りにした「戦後」のあり方を報じ続ける――。長く戦後補償の問題を追い続けてきた専門記者、栗原記者の決意です。
不可避の敗戦引き延ばした政府
1945年の夏、大日本帝国が連合国に降伏して第二次世界大戦は終わった。しかし80年前の「終戦」は、戦闘の停止でしかなかった。戦争被害は、今日に至るまで続いている。広義の戦争は未完であり、これからも終わらないだろう。その戦争に新聞は加担した。であればこそ、新しい戦争を防ぐための報道をしなければならない。そのために何ができるのか、考えてみたい。
41年12月8日、米英などとの戦争を始めた帝国の為政者たちは、どう戦争を終わらせるつもりだったのか。大まかに言えば(1)同盟国のドイツ・イタリアと連携してイギリスを屈服させる(2)イギリスの同盟国であるアメリカが戦意を失う。きりのいいところで講和する、というものだった。イギリスが負けるとは限らない。負けたとしても、アメリカが日本との講和のテーブルに着く保証はない。願望の上に空想を乗せたような「終戦構想」だった。
戦争が長期化するにつれ国力の差が表れ日本軍は劣勢となった。決定的だったのは44年7月、マリアナ諸島を米軍に占領されたことだ。戦略爆撃機B29が、日本本土を繰り返し爆撃することが可能になった。日本は米本土を同じように爆撃することは不可能で、敗戦は不可避だった。戦前に3度首相を務めた近衛文麿は45年2月14日、昭和天皇に早期講和を提言している(近衛上奏文)。ところが…
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