Netflixで配信中の米アニメ映画「KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ」は、視聴回数の世界ランキングで2位(8月4~10日)に輝き、8週連続でベスト10入りするなど大人気だ。挿入歌「Golden」は米英でシングルチャート1位を記録している。
K―POPのグローバル化は米国発で広がることが多く、BTSはマッチョな男性像への対抗軸として支持を集めた。では、今回の「KPOPガールズ」が描く女性像や世界観はどこへ向かっているのか。ジェンダー研究が専門のお茶の水女子大学の申琪栄教授に、フェミニズムの視点で映画を読み解いてもらった。【堀山明子】
悪を倒すヒーローへの疑問
――K―POPは米国で、マイノリティーの多様な生き方を支持する文化として根付きつつあります。この映画は何か新しい方向性を示していますか。
◆映画は、悪魔を倒すヒロインの物語ではありません。主人公自身の中にある悪魔を認め、自分自身とも闘い、矛盾と向き合います。最初から闘いの構図があって、ヒーローが敵を制圧して終わる典型的な米国の物語とはまったく違います。
どちらが勝つか、どちらの側に立つかではなく、境界はあいまいにしながら、一緒に変わる可能性や共感できる物語を探すという視点が提起されています。
――主人公は実は悪魔の血を半分ひいていて、体に現れる悪魔の文様を隠したり悩んだりしながら、やがて受け入れていきます。
◆韓流ドラマでよく出てくる「出生の秘密」が出てきましたね。自分でコントロールできないこと、身分や容姿などいろいろありますが、それは否定しようがない。文様は違っても人はみな痛みや矛盾を抱えています。それぞれの脆弱(ぜいじゃく)性を認め合うことで、やさしい社会がつくられるのではないでしょうか。フェミニズムでたびたび提起されているケアの視点にもつながります。
外から見た韓国の視点
――対決ではなく重層的な視点で物語を描いたのは、映画の製作陣の多くが韓国系米国人だったことが影響していますか。
◆テーマとして、境界とは何かと内面から問い、自分を解放するにはどうしたらよいかを考えさせる点には、米国に渡ったディアスポラ(離散民)の視点が反映されていると思います。米国籍があってもアジア系マイノリティーとして差別される中で、「米国か韓国か」という純粋なアイデンティティーの選択を迫られることへの疑問を投げかけています。
本国の韓国はそうした感性に鈍感な部分があります。韓国の人口は約5000万人ですが、そのうち1割強にあたる700万人程度が米国、日本、中国を中心に移民として暮らしています。背景には日本の植民地支配や韓国軍事政権といった過酷な歴史がありますが、今となっては移民のネットワークは韓国の貴重な資源となっています。
人口の少ない韓国は、K―POPが1990年代に始まったころから海外戦略を視野に入れていました。資本は国境を越え、関わる人も多国籍です。K―POPをグローバルに発信している韓国系米国人がアジア系マイノリティーとしての葛藤を抱えているなら、境界の定義を問い直し、多様性の価値をアピールすることがK―POPの重要なメッセージになるのは自然なことだと思います。
商業的な完璧さから解放
――映画のアイドル像は、現実のアイドルと比較してどうでしょうか。
◆韓国の女性アイドルは商業的で完璧主義です。映画では競争で勝ち抜こうとする努力はリスペクトしながらも、完璧さから解放された人間らしさも表現していました。日本のアイドルは未熟さを求められることが多いですが、韓国でも米国でも、完璧を目指す姿勢自体は否定されません。
ただ、人間は完璧ではありません。映画では女性アイドル3人が弱みを見せ合い、助け合うなかでもっと強くなり、そこから共鳴や連帯が広がります。共鳴し合えば、社会は変えられるという希望を捨てていません。
男性アイドルについては、筋肉はそこそこあるけれど顔は美少年という現在の路線が反映されていました。米国社会が理想とするマッチョな男性像が変わったかは分かりませんが、K―POPアイドルの男性像が破壊力を持って広がっているのは確かだと思います。
映画をきっかけに、ヘビメタのマッチョな男性が「K―POP、いままで見くびっててごめんよ」と挿入歌を実演する動画が投稿される現象も起きています。音楽は偏見を捨て、境界を越える力があるのですね。
境界はあいまいでいい
――境界は越えてもいいし、両足入れたままでもいいとなると、境界線の定義とは。
◆映画では、完璧に見えた女性アイドルが実は悩みや傷を抱えた普通の女性だったと描かれています。境界線はあいまいでいいし、誰が引くかによって変わります。フェミニズムは、型にはまった純粋さを問い、なりたい自分を解放することから出発しています。
最近は世界的に、女性の定義が議論になっていて、トランスジェンダーを排除して線引きしようとする動きが強まっています。日本の一部のフェミニズム研究者もその動きに加わっていて、生物学的な女性という定義に論点が戻るのではないかと懸念しています。
「女性は子どもを産む性」という生物学的に閉じ込められた定義を広げようと、フェミニズムは100年以上闘ってきました。すべては不純なものであり、だれもが内部に葛藤を抱えていると認め合うところから連帯が始まります。この映画には、フェミニズムの原点を再確認するメッセージが含まれていたと思います。
シン・キヨンさん
お茶の水女子大グローバル女性リーダー育成研究機構ジェンダー研究所教授。ソウル大卒業後、米ワシントン大学院で博士号(政治学)取得。共著に「女性の参画が政治を変える」など。2024~25年に米ジョージ・ワシントン大学訪問研究員。一般社団法人「パリテ・アカデミー」の共同代表も務める。
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