
教えに従えば、取るべき行動は一つしかなかった。けれど、上に逆らうのも怖かった。
1人の捕虜を順番に銃剣で突き刺していく度胸試し。次第に血か肉か衣服なのかも分からない状態となり、最後は足蹴(あしげ)にされて穴に放り込まれる。
2人目、3人目と凄惨(せいさん)な姿で穴に消えていく。
どうしたらいいかわからず、堂々巡りをしている中、5人目の捕虜を最初に刺突するのが自分の番だとわかった。
連載「戦時下ですから」は全7回のシリーズです。
次回は 登戸研究所員のささやかな抵抗
17日午前11時アップです。
可愛い顔立ちの子どもに見えた
新兵に度胸をつけさせるという名目で、くいに縛り付けられた捕虜を銃剣で突かせて殺す。
この「刺突訓練」を、中国に出征したある一人の兵士が拒否した。
命令に逆らったため上官から気を失うほどのリンチを幾度となく受けながらも、そうした戦場の実態を歌に詠み、生きて日本に持ち帰った。
元兵士の名は、渡部良三さん。
山深い山形県津川村(現小国町)の農家に生まれ育った。2男3女の次男。熱心なキリスト教徒だった父の影響を受け、自身も自然と信仰の道に入った。
中央大の学生の時に学徒出陣。陸軍2等兵として1944年春に中国河北省の村落に駐屯する部隊に配属された。
小銃や弾薬の扱い方といった基礎訓練で1カ月あまりがたとうとしていたある日の朝食時、上官が言った。
「今日は教官殿のご配慮により、パロ(中国共産党八路軍)の捕虜を殺させてやる」
渡部さんはこの時の状況を歌に詠んでいる。
<捕虜を殺し肝玉もてとう一言に 飯はむ兵の箸音止みぬ>
48人の新兵とともに野外演習場へ向かった。
目隠しされ後ろ手に縛られた1人目の捕虜はせいぜい17~18歳の「可愛い顔立ちの子ども」に見えた。
教官が最初に「模範」を見せた後、新兵が順番に突いていく。
<深ぶかと胸に刺されし剣の痛み 八路はうめかず身を屈(ま)げて耐ゆ>
5人目の捕虜への最初の刺突が自分だとわかった渡部さんはふと父にかけられた言葉を思い出した。
「自分の言葉で良いから祈れ」
渡部さんは祈った。そして、「神の声」を聞いた。
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