朝鮮人被爆者の追悼集会を初開催 80年かかった背景に「南北分断」

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広島市の平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑=広島市中区で2025年7月28日午後1時32分、安徳祐撮影 拡大
広島市の平和記念公園内にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑=広島市中区で2025年7月28日午後1時32分、安徳祐撮影

 在日朝鮮人の被爆者らでつくる「広島県朝鮮人被爆者協議会」(朝被協)が原爆投下から80年となる今夏、初めて原爆犠牲者の追悼集会を広島市内で開く。在日本大韓民国民団(民団)広島県地方本部が主催する在日韓国人らの慰霊祭は50年以上続いているが、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)広島県本部の追悼行事はこれまでなかった。関係者は「追悼するのに『北』も『南』も関係ない。異国の地で苦労の末に原爆で亡くなった人たちを慰霊したい」と話している。

 軍都だった広島には戦前、日本による植民地支配の下で朝鮮半島から職を求めて海を渡った人や、徴用で連れて来られた人たちが多数いて、原爆の犠牲になったとみられる。

 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」は1970年、民団県地方本部有志らの手で平和記念公園(広島市中区)の対岸に建てられた。その後、在日韓国人らから公園内への移設を求める声が高まった。

 広島市は当初、南北統一碑とすることを移設の条件としていた。民団県地方本部と朝鮮総連県本部が市を交えて協議したが、碑文の文言などを巡って話し合いは難航。結局、99年に民団側の慰霊碑を公園内に移設し、朝鮮総連側の慰霊碑は実現しなかった。

 その後も統一碑に向けた話し合いは続けられた。2000年に史上初の南北首脳会談が平壌で開催され、融和ムードが広がったことで統一碑への期待が高まったが、結局進展しなかった。総連側の慰霊碑がないため、追悼行事も開かれてこなかった。

 朝被協が今年、追悼集会の開催を決めたのは被爆者が高齢化し、碑の建立を待てないためだ。朝被協会長で胎内被爆者の金鎮湖(キムジノ)さん(79)は「慰霊碑がないまま追悼するのは、亡くなった在日同胞被爆者に申し訳ない気持ち。苦渋の決断だ」と語る。

初開催される追悼集会について語る「広島県朝鮮人被爆者協議会」副会長の李憲伯さん=広島市西区で2025年7月23日午前11時24分、安徳祐撮影 拡大
初開催される追悼集会について語る「広島県朝鮮人被爆者協議会」副会長の李憲伯さん=広島市西区で2025年7月23日午前11時24分、安徳祐撮影

 朝被協副会長の李憲伯(リホンベ)さん(90)は、10歳の時に爆心地から3・8キロの江波町(現広島市中区)で被爆した。李さんは在日2世でルーツは韓国・密陽(ミリャン)市だ。戦後、韓国籍を選ぶこともできたが、南北統一を思う気持ちから朝鮮籍のままにしている。「政治情勢で今も分断が続く現状が嘆かわしい」と語った。

 追悼集会は8月2日午前11時、広島市留学生会館(南区)で開かれる。【安徳祐】

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