開店当初は3日間客ゼロ 京都のアメリカンダイナーが繁盛できた理由

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アメリカの雑貨などが並んだ店内=京都市左京区で2025年8月15日午後6時46分、大東祐紀撮影
アメリカの雑貨などが並んだ店内=京都市左京区で2025年8月15日午後6時46分、大東祐紀撮影

 至るところに飾られた英字の書かれたオイル缶、ロードサイン(標識)、「バドワイザー」の看板などを、カラフルなネオンが照らす。

 京都市左京区の百万遍交差点のすぐそばにあるアメリカンダイナー「ASH FORK(アッシュフォーク)」。店内に足を踏み入れると、映画で見たような、古き良き「アメリカ」そのものだ。京大から目と鼻の先。多種多様なハンバーガーやボリューム感のある定食などを目当てに、京大生や大学職員らで連日にぎわっている。

 2008年、徳永伸介さん(47)=京都市左京区=が30歳の時に店をオープンさせた。ただ、異国情緒あふれる陽気な店の雰囲気と裏腹に、これまでの道のりは苦難続きだった。

アメリカに憧れ、1000万円をためて開業

 父は大手の証券マン。多忙で、帰宅はいつも深夜。そんな父はパイロットになりたいという夢があったが、目が悪くて諦めた。「パイロットになりたかった」。そんな父の後悔を、たまに聞いていた。

 もちろん、父のことは尊敬している。でも、「同じような生き方はできないかもな」。会社員ではなく、独立して生きていきたいという夢を、学生時代から持っていた。

 龍谷大入学後、実家近くの大阪府高槻市の家族経営のダイニングバーでアルバイトを始めた。これが契機だった。厨房(ちゅうぼう)に入り、ソースやバター作りなど、料理のノウハウを教わった。料理長から「(飲食店が)向いている」と言われ、その気になった。

 映画「スタンド・バイ・ミー」や「E.T.」に感化された世代。アメリカに強い憧れがあった。かねての漫然とした夢とも組み合わさり、アメリカンダイナーを開店させることを決意した。

 大学卒業後、アルバイト生活などで、29歳までに1000万円をためた。軍資金を手にアメリカを横断。今も店内を彩るアイテムはその時に各地で購入した。店の立地は悩んだが、「ハコ」の大きさが気に入り、縁もゆかりもない京都の学生街・百万遍で開店した。ここまでは順風満帆だった。

3連休で客ゼロ

アメリカンダイナー「ASH FORK」の外観=京都市左京区で2025年8月15日午後6時43分、大東祐紀撮影
アメリカンダイナー「ASH FORK」の外観=京都市左京区で2025年8月15日午後6時43分、大東祐紀撮影

 しかし、店を開いても客が来ない。土曜からの3連休で一人も客が来ない日もあった。銀行からの借り入れもあった。「これはやばいな。首をくくらなあかんかも」

 だがここでかつての経験がいきた。高校のサッカー部時代のことだ。3年で主将となり、勝つために独断で練習を厳しくし過ぎた。ある時、下級生が練習をボイコット。「トラウマレベル」という経験で学んだことは、「周りの意見を聞くことの大切さ」だった。

 だから、アルバイトの京大生に堂々と尋ねることができた。店があるのは学生街。現場の大学生の意見を聞くことが一番の解決策、と最短距離で思いついた。

 「ボリュームのある定食を始めましょう」

 「ゼミやサークル向けの宴会メニューを作りましょう」

 今の店を形作るアイデアがどんどん出てきた。利益の大きいアルコールを売りたいという思いから「たこわさ」「お茶漬け」などの居酒屋メニューも出していたが、きっぱりやめた。あれこれ手を出すのではなく、アメリカンダイナーとして、酒も料理もアメリカに特化した。これもアルバイトの意見を参考にした。

 「全部変えたような気がしますね」。3年以上生き残ることが難しいとされる飲食業界でやってこられたのは、こうした柔軟性のたまものだ。

コロナ禍でもいきた学生の助言

 2020年からの新型コロナウイルス禍でも、この姿勢がいきた。学生アルバイトの進言で、コロナ前の19年から「ウーバーイーツ」などのデリバリーサービスをいち早く始めていた。コロナ禍は「百万遍もゴーストタウンのような感じだった」が、何とか乗り切った。

「百万遍の街が好きになってきたかな」と話す徳永伸介さん=京都市左京区で2025年8月6日午後4時27分、大東祐紀撮影
「百万遍の街が好きになってきたかな」と話す徳永伸介さん=京都市左京区で2025年8月6日午後4時27分、大東祐紀撮影

 実は、これまで京都の名所と呼ばれる場所には行ったことがない。家の近くの銀閣寺も清水寺も。正月の三が日以外は店を開き続ける年もあり、忙しく過ごしてきた。

 ただ、近所付き合いや店の経営に苦労し、「初めは嫌で仕方なかった」という百万遍の街並みが「やっと好きになってきたかな」。走り続けて17年。苦難を乗り越えてきたからだろう。見慣れたはずの景色が、輝いてみえるようになってきた。【大東祐紀】

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