筆を置き戦地へ 戦時下の画学生が残したもの

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原田茂さん宅に飾られた原田新の写真=山口県周南市で2025年7月19日、猪飼健史撮影
原田茂さん宅に飾られた原田新の写真=山口県周南市で2025年7月19日、猪飼健史撮影

 太平洋戦争の開戦が迫る1941年の秋、東京美術学校の繰り上げ卒業が決まった。原田新は同年12月、久保克彦は翌年9月に卒業し、徴兵されることになる。

 戦争を疑問視する発言は身近な人にもできなかった時代。この時期の二人の心境はどんなものだったのだろうか。

 この記事の前編はこちら
 筆を置き戦地へ 戦時下の画学生、今も肩並べ

 出征後の原田の手紙からは近況を勇ましく伝える言葉に紛れ、絵を描くことへの未練が見え隠れする。

 <美術雑誌「新美術」を留守中も、毎月とっておいて戴(いただ)けると大変仕合わせます><入営以来絵筆を捨ててゐますが、画心はぼつぼつと絶へる事なく絵の具をなんとか手に入れたいと思ってゐます>

 久保は卒業制作中に悲痛な叫びを漏らしていた。

 「俺は死にたくねえ!」

 「俺は絵が描きてえ!」

 「俺はペンを捨てたくねえ!」

 おいの木村亨さん(88)によると、作業場から漏れて…

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