
福島市東部で7月、研究者によって奇妙な神社が新たに確認された。
神社とともに発見されたのは、つり目だったり、三角耳だったり、シマシマやブチの毛皮だったり……。さまざまな猫たちの姿が描かれた93枚もの古びた「猫絵馬」だ。
調査で判明したその名は「猫神社」といい、代々猫を「神様」としてまつってきたとみられる。
研究者は「現代になってこのような神社が新たに見つかること自体めったにない」と話しており、猫にまつわる地域信仰の解明につながることが期待されている。
東日本に点在、その由来は?

7月20日朝、福島市東部の個人宅裏にある小高い山の斜面にその神社はあった。
簡素な木製の建物は、「神社」というよりも「祠(ほこら)」に近い小ぶりなつくり。長年の風雨で屋根や壁に傷みがあり、内部にもほこりなどが堆積(たいせき)している。
祭壇周辺を調べていると、宮城県村田町歴史みらい館の石黒伸一朗館長(67)が声を上げた。
「これ『猫神社』って書いてあるな。ここは『猫神社』だったんだ」
石黒さんが手にするのは、神社の建築や修繕した年月などを記録した2枚の「棟札(むなふだ)」だ。
木片には確かに猫神社の文字が墨で書かれている。かすれてはいるが年号も記されていて、詳しく調べると猫神社は江戸末期の1821(文政4)年にまつられ始め、61(万延2)年に再建されたことが読み取れた。
数は少ないが猫をまつったり猫にまつわる信仰があったりする神社は東北地方をはじめ各地に点在しており、その多くは養蚕業に関わっている。
カイコを育てて繭から糸をとる養蚕農家が恐れるのは、なんといってもカイコや繭を食い荒らすネズミ。猫はそんなネズミのハンターであり、時に「養蚕業の守り神」として地域の信仰の中で大切にされてきた。
絵馬に描かれていたのは…

祭壇の奥には、古い絵馬が積み上げられていた。
調査に同行した私(記者)も、石黒さんらと一緒になってはけで表面のほこりやクモの巣を払った。
すると、鋭い眼光でこちらをにらむシマ猫、ふっくら丸まった背中が印象的な白猫、くたっと寝そべったハチワレ、赤い首輪がチャームポイントのブチ猫などなど。表情も姿もバラエティーに富んだ猫たちの姿があらわになっていく。
絵柄が不明瞭な2枚を除いて、猫神社から発見された「猫絵馬」の数は計93枚。小さな神社になぜこれほどの絵馬が納められたのかと言えば、それは「倍返し」の風習があったためだという。
養蚕農家はカイコを育てる際にネズミよけなどを祈願して神社から猫が描かれた絵馬を1枚借り、繭が豊作なら2枚に増やして返す。これが倍返し。
猫神社そばの個人宅に住む男性によると、神社は男性の先祖が居住する以前からこの地にあった。そのため、なぜまつり始めたのか詳しい経緯は分からないが、男性の家でも過去には養蚕を営んでおり戦後になっても、倍返しの風習は続いていた。
絵馬から見える猫信仰

石黒さんによると、これまでに猫絵馬の倍返しが確認されている神社は、今回の猫神社も含め6カ所。いずれも東北地方だ。
福島県内では川俣町西福沢の「猫稲荷神社」が知られており、倍返しによって増えた計600枚以上の猫絵馬が残されている。
今回見つかった猫神社とも距離的に近く、両神社の絵馬には同じ図柄とみられる猫の絵もあった。
一方で、猫稲荷神社はもともとはポピュラーな「キツネの稲荷神社」だったものが、1871(明治4)年になって「猫の稲荷神社」へと役割を変えたことが明らかになっている。ちょうど明治維新を経て地域の養蚕業がさらに発展しつつあった時期だ。今回調査に入った猫神社は文政期から存在したと考えられるので、この地域では猫信仰の歴史がさらに半世紀さかのぼることになる。
石黒さんは「確実に江戸時代に勧請(かんじょう)された(まつり始めた)ことが分かる猫神社の棟札が見つかるのは初めてで驚いている。万延期に再建されたことも分かり、あつく信仰されていたと思われる。絵馬に描かれた奉納者や図柄を追うことで、猫にまつわる信仰の範囲を追うこともできるかもしれない」と述べる。
今回の猫神社はX(ツイッター)のフォロワーを通じて情報提供があったもので、「これから新たに見つかる可能性もある」とも。
猫神社を巡る調査は今後も継続する。今回の調査で発見された「猫神社」と書かれた棟札は、村田町歴史みらい館で9月21日まで開催している企画展「いつもそばには猫がいた」で展示されている。【岩間理紀】
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