埼玉県蕨市の市福祉・児童センターで「戦争を語る」会が開かれた。広島で被爆し、戦後は蕨市に住んで40年近く語り部活動を続ける服部道子さん(96)の体験を本人の話と紙芝居、ビデオでたどった。小学生約40人を含む70人あまりが参加。服部さんの核兵器廃絶と平和への思いに耳を傾けた。
同センターが戦後80年と同市の平和都市宣言40年を記念して企画した。
学生時代に服部さんと出会い、その活動を約16年支えている菅田紗央里さん(37)と哲さん(44)が、服部さんの話をもとに作った紙芝居の読み聞かせをした。
服部さんは、爆心地から約3キロの陸軍部隊の医療施設で被爆。看護師見習いとして働き始めて約2カ月だった。衝撃で気絶し、目を覚ますと、火の海となった街の方からたくさんの人たちがやってきた。髪は逆立ち、皮膚が手首の方に垂れ下がり、おばけのように腕を前に伸ばしている。救護所が作られ、服部さんも治療に加わった。
紙芝居では、全身に刺さったガラス片をペンチで抜いたり、水が出ないため海水で傷を洗ったりしたことなど、困難を極めた救護の様子を説明。「お水がほしい」と訴える全身やけどの少年の唇を、ぬらした脱脂綿でぬぐうと、少年は「おいしい」と言い、「我慢しなきゃね、日本は勝つよね」と繰り返し息を引き取ったという。
紙芝居の後、小学生が「(看護師として)何ができましたか」と質問すると、服部さんは自身で描いた被爆直後の人々の絵を見せながら、「『助けてちょうだい』『痛いよ、苦しいよ』と叫ぶけど、薬もない、水もない。けが人は100人も。ござの上に寝かせてあげるのが関の山。傷口にうじがわいても動けないまま、死んでいくのを待つばかりの人が大勢いた」と話し、「あの時を思うと、悲しくていたたまれない。もう二度と、どこの世界にもあってはならない。戦争が起きると苦しむのは庶民で、女・子どもも容赦なく殺される。ウクライナやガザもそう。だから、戦争だけはしないようみんな頑張って」と語りかけた。
会では、祖父母が広島で被爆した被爆3世の歌手、ニイマリコさん(41)がゲストとして登壇し、広島原爆をテーマに作った反戦歌「ライカ」を歌った。ニイさんの祖母は13歳で被爆。体にはガラス片が刺さった傷痕が残り、子どもだったニイさんが「おばあちゃんも戦争に行って戦ったの」と聞くと、「原爆が落ちてこうなった」と体験を話してくれたという。
参加した小学生は「まだ世界は戦争をしているけれど、日本は戦争をしないからよかった」と感想を話した。【萩原佳孝】
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