戦場での過酷な体験などにより心的外傷後ストレス障害(PTSD)といった「戦争トラウマ」に苦しんだ旧日本兵の存在が近年、少しずつ知られるようになってきた。元兵士らの子世代による集会や報道によって、戦地に送られた肉親がトラウマを抱えていた可能性に気付き、向き合おうとする遺族も出てきている。
今年の春ごろ、新聞を読んでいると戦場での過酷な経験による「戦争トラウマ」に苦しんだ元日本兵や、その子どもの証言に目が留まった。
読み進めるごとに「お父さんも『戦争トラウマ』で苦しんだ一人だったのでは」と思わずにはいられなかった。同時に女性の脳裏に浮かんだのは、生前の父が語ったおぞましい出来事だった。
アルバムをめくる手が止まる。「これが父です」。山田光子さん(85)=大阪市=は、ほほえみを浮かべる着物姿の男性の写真を指さした。
香川県さぬき市で米農家の両親のもと、5人きょうだいの次女として育った。父は手先が器用で、農業の傍らかまどや五右衛門風呂も作り、隣村からも依頼が来るほどだった。料理も得意な人だった。
きょうだいの中でも山田さんは特に可愛がられ、休日には2人でサーカスや釣りへ出かけ、高校生の時にはPTA役員を引き受けてくれたこともあった。そんな父は自分にとって「頼りになる自慢のお父さん」だった。
山田さんがきょうだいに聞いた話では、明治生まれの父は30代で徴兵され、旧満州(現中国東北部)に送られたという。
復員後は家の中で戦争の記憶を口にすることはなかった。酒の席を除いては。
山田さんが中学生の頃、農繁期が終わり、酒を飲んでいた父が突然口にした。
「戦場で女性にわいせつ行為をした」
「ある日、暗闇で井戸水をくんで飯ごう炊さんしたら、悪臭がした」「翌朝、井戸を見ると腐乱した女性の遺体が浮いていた」
どこの国の誰の話だろうか。優しい人柄だっただけに最初は父が自分の話をしているとは信じられなかった。
聞くに堪えない話を聞き流すしかなかった山田さんに、その後も父は酒を飲んで酔いが回るたびに戦場での出来事を話した。
敵の爆撃で負傷して担架で運ばれていたところ、再び攻撃にあったが運良く穴に落ちて命拾いしたこと。食べ物がなく、ヘビやカエルを口にするなど不衛生な環境で衰弱し亡くなった戦友のこと……。父はいつも遠くを見つめ、淡々と語った。
父は1990年に83歳で亡くなった。それから30年以上がたち、戦争トラウマという言葉を知り、「もしかして」との思いが心に浮かんだ。
父は本当に戦場で性加害に加担したのだろうか。なぜ、父は酒を飲むと戦争の話をしたのだろうか――。
気になって他のきょうだいに聞いてみたが、父からは戦場での話を聞いたことがないという。
父は戦時中の自分の行為にいつまでも苦しんでいたんじゃないだろうか。苦悩を知ってほしかったのではないか。
その苦しみを知るには、まずは父の戦争中の足跡をたどりたいと思い、今年7月に軍歴証明書を香川県に申請した。証明書を受け取ったら、向き合ってこれなかった父の苦しみと正面から向き合いたいと思っている。
今になって戦争が父の心を壊していたんだと確信する。「あの時、優しい言葉の一つでもかければよかった」と胸が締め付けられる。
「本当に悪いのは戦争なんだよ」。あの時の話の真意が見えてきたと感じる今、父に伝えたい思いだ。【中村園子】
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