米軍に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の悲劇を伝える那覇市の対馬丸記念館では事件から81年となるのを前にした19日、犠牲となった児童ら5人の遺影が展示室に新たに追加された。遺影は計417人分となったが、これまでに判明した犠牲者1484人の3割にも満たず、記念館は「これからも一人でも多くの遺影を迎えていきたい」と提供を呼びかけている。
5人は、知念千代子さん(当時14歳)と、又吉カメさん(同29歳)、カメさんの子の啓之(ひろゆき)さん(同8歳)、エミ子さん(同6歳)、久子さん(同3歳)――。
又吉さん母子4人の遺影は沖縄市の又吉啓次郎さん(77)が記念館に提供した。カメさんは、啓次郎さんの父龍善(りゅうぜん)さん(故人)の前妻で、啓之さんら3人は啓次郎さんの異母きょうだいにあたる。
啓次郎さんによると、亡くなった4人が一緒に収まった1枚の写真が昔から自宅に飾られていたが、龍善さんがその写真について語ることはほとんどなかったという。
ただ、龍善さんは記念館近くにある対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」に毎年足を運んでいた。啓次郎さんは「父がどこかに行くときはいつも私が車で送っていたが、小桜の塔には父一人でバスに乗って行っていた」と振り返る。
龍善さんは再婚し、後妻との間に啓次郎さんら6人が生まれた。年長の3人の名前は、亡くなった3人の子どもたちと漢字や響きなどが共通していた。啓次郎さんは「父は失った家族を忘れることはなかったのだろう」と想像する。啓次郎さんの母も毎年、自宅近くの海岸に行き、海に向かって祈りをささげていた。「彼らが死んだから私たちが生まれた。複雑だが、それが戦争なのかもしれない」
啓次郎さんはこれまで記念館を訪れたことはなかったが、年をとって「私や妻が亡くなれば、対馬丸に乗って犠牲になった4人のことを誰も分からなくなるかもしれない」と思うようになり、今回、遺影の提供を申し出た。19日に妻郁枝さん(80)らとともに記念館を訪れ「この場所で大切にしてもらえることになり、本当にありがたい。父も安心していると思う」と話した。【喜屋武真之介】
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