
5畳ほどの和室には中学校のセーラー服や新体操の衣装が掛けられている。笑顔であふれた友人との写真や真新しい赤いかばん、白いシューズも並ぶが、部屋のあるじはもういない。
「いないんだけど、まだいるんだよ、博美は。ここは博美の家なんだ」
8月初旬、寺輪悟さん(57)=三重県四日市市=は自宅1階の和室の遺影を見つめながらつぶやいた。
<主な内容>
・ウエディングドレス
・今もLINE
・通された和室
・想定外の「逃げ場」
前編 中3の娘を奪われ憎んだマスコミ 心変わりの転機は「法廷の執念」
中学3年だった次女の博美さん(当時15歳)は12年前の夏、花火大会から帰宅中に面識のない高校3年の少年に襲われて亡くなった。遺体とともに見つかった財布からは現金がなくなっていた。
ウエディングドレス
財布は悟さんがプレゼントし、博美さんのお気に入りだった。この遺品も遺影の近くに置かれている。
博美さんは保育園の頃から新体操に打ち込み、人なつっこい性格でたくさんの友人に囲まれた。
おしゃれも大好きで、赤いかばんやシューズは悟さんが事件後、愛娘の誕生日プレゼントとして買い足したものだ。
<少しずつだけど前に進んでルヨーン>
<頑張るからねー 一緒にな>
博美さんのスマートフォンは解約せず、LINE(ライン)のメッセージを毎日送り続けている。内容は近況報告から愚痴までさまざまだ。
「往生際が悪いけど、踏ん切りがつかない。いつか何もなかったように帰ってくるんじゃないかって」。悟さんは博美さんの生前の写真に目を落とした。
そして、自宅を訪ねた記者(私)に一枚の写真を見せてくれた。「結婚式に参列することはかなわなかったけど、ウエディングドレスはちゃんと見れたんだ」。七五三の衣装にドレスを選んだ博美さんがにっこり笑っていた。
入社2年目、通された和室
事件が起きた当時、博美さんの遺体が安置された警察署や自宅に集まった新聞社やテレビ局の過熱報道に苦しんだ悟さん。マスコミを憎んだことすらあった被害者遺族と私がやり取りを始めたのは、新聞記者になって2年目だった2023年の夏だ。
1階の和室に通された最初の取材で、悟さんから告げられた言葉がある。「ここで見聞きしたことは、部屋を出たら忘れていい。それは薄情じゃない」。その真意は取材を重ねる中で分かるようになった。
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