
参政党の神谷宗幣代表は、日本軍が沖縄の人たちを殺したわけではない、と主張した。「沖縄県民が亡くなったのはアメリカの攻撃によってであり、例外的に悲しい事件があった」と言った。
例外ではない。日本兵の住民に対する蛮行は、沖縄戦の約1年前、日本の占領下にあったサイパン島でも起きている。
「赤ちゃんがちょっとでも泣いたら、殺せ、殺せ、と怒鳴った。兵隊さんと一緒にいたら守ってくれるから安心だ、と思っていたのに、反対だった」
南米ブラジルのサンパウロに住む金城繁子さん(90)が8月15日、ビデオ電話で証言してくれた。
1944年6月、米軍が島を取り囲み、艦砲射撃が始まった。逃げ込んだガマ(自然壕<ごう>)に日本兵2人が来て、一家が持っていた水とサトウキビを全て奪った。生後4カ月の妹、絹ちゃんが母のおっぱいを吸おうとしたが、乳が出ない。「ふうーん、ふうーん」と細い泣き声をあげた。
「殺せ。首を絞めて殺せ。殺しきれないなら、俺が殺す」。日本兵は怒鳴った。
艦砲射撃の中、一家はガマを追い出された。砲弾の破片が後頭部を直撃し、絹ちゃんは死んだ。
逃げ込んだ別のガマでは、日本兵に「米兵は女、子どもは殺さないから、水を探してこい」と命じられた。外に出た繁子さんは米兵に撃たれ、右手の指3本を失った。
死に場所を求め、たどり着いた島東部のカラベラ海岸。…
Comments