観測は特攻作戦のため…予報士が知った沖縄戦 考えた気象情報の役割

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沖縄戦などで犠牲になった沖縄地方気象台の職員を悼むため建立された「琉風之碑」=沖縄県糸満市で2025年8月1日午後1時11分、喜屋武真之介撮影
沖縄戦などで犠牲になった沖縄地方気象台の職員を悼むため建立された「琉風之碑」=沖縄県糸満市で2025年8月1日午後1時11分、喜屋武真之介撮影

 気象情報は軍事機密――。「鉄の暴風」といわれる砲弾が飛び交う地上戦となった第二次世界大戦末期の沖縄で、現地の気象台職員は使命とされた観測を続けていた。「沖縄戦と天気は切り離せない」。那覇市在住の気象予報士、佐藤沙代子さん(38)は、沖縄の天気をテーマに今年出版した著書で、当時の観測態勢や、戦時ゆえに職員がどんな観測を求められたのかを解説した。80年前を見つめ、伝えたい思いとは――。

 佐藤さんは福岡市出身で、大学卒業後に経営コンサルティング会社で勤務。結婚、出産を経て2015年に沖縄へ移住した。住み始めると「沖縄の空は、福岡や東京とは比べられないくらい広くてダイナミックで面白い」と魅せられた。その一つが、夏の局地的な大雨「カタブイ」。晴れて気温が高く、風が弱い日に地表で暖められた空気が上昇し、発達した積乱雲ができることで降る通り雨で、「通りの片側が晴れているのに、もう片側では雨」という極端な現象が起きる。

 興味は学びにつながり、21年春に気象予報士の資格試験に合格。翌22年4月から今年3月まで、NHK沖縄放送局のニュース情報番組で気象キャスターを務めた。毎年6月23日の沖縄慰霊の日に合わせて放送内容を練る中で考えるようになったのが、気象の分野から見た沖縄戦の姿だ。

 例えば、今も沖縄で日常的に発見され撤去作業が続く不発弾が残った背景には、戦時下の梅雨期の大雨が関係している。

 米軍は1945年4月1日に沖縄本島に上陸。佐藤さんが調べた米軍の戦時記録などによると、…

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