7月の参院選で落選し、政界を引退した武見敬三前厚生労働相(73)が毎日新聞のインタビューに応じた。社会保障政策のエキスパートで、厚労族の重鎮でもある武見氏。社会保障の財源となる消費税の減税を訴える野党から集中的に批判を受け、自民党敗北を象徴する存在となった。武見氏が語る敗因とは。【聞き手・大場弘行】<※参院選ドキュメント「この国の岐路」を9月3日まで期間限定で公開しています>
――東京選挙区で6期目を目指した選挙戦だった。
◆これまでで一番気合が入っていた。2030年から特に東京などの大都市部で超高齢化が進み、高齢の単身者が急増する。一方、地方では逆に高齢者が減って、医療需要が減少する。都市と地方で、医療・介護の需要の非対称性が際立つことになる。
全国の地域医療を再構築するには30年までの5年間がとても大事になる。この仕事をぜひやらせてもらいたかった。
――野党の多くは消費税や社会保険料の引き下げなどを公約に掲げた。
◆お金の話は一番わかりやすい。誰だって税金や保険料をたくさん払いたいとは思わない。
しかし、現実に高齢者が急増する中で、必要な社会保障の財源を考えると、間接税としての消費税が最も長期的に持続可能で安定している。
社会保障との因果関係をきちんと議論せぬまま、消費税を「ゼロにする」「5%に下げる」などと訴えた他党の主張は極めて粗っぽかった。
――選挙戦では消費減税論などのポピュリズム(大衆迎合主義)との戦いになると訴えていたが。
◆SNS(交流サイト)がポピュリズムを加速させた面があるものの、根底には、少子高齢化と人口減少の中で、20~50代の現役世代の間に悲鳴にも近いソーシャルストレスがたまっていたことがあったと思う。
社会保障費のかかる高齢者が増え続ける一方、現役世代が保険料の支払いや両親の介護などを通じて負担を実感するようになっていた。今回の選挙はその負担感が一つのステージを越えたタイミングと重なった。
それがポピュリズムと合体して、(消費税の廃止を掲げる)参政党などの勝利につながった。逆に言えば、与党である自民党への怒りとなり、党の基盤を大きく崩すことになった。私はシニアの政治家でもあり、そのプレッシャーを最も強く受ける存在になってしまった。
――00年の介護保険制度導入で高齢者対策に本腰を入れ始めた際に、少子化対策も一緒にやるべきだったとの見方もある。
◆00年の段階で高齢者対策を優先させたのは、間違いとは思わない。しかし、もう少し少子化対策に力を入れて財源配分もすべきだったと思う。
当時は、与野党いずれも急激な高齢者の増加に医療介護でどう対応するかが課題だった。あのとき、「もっと少子化対策に財源配分しろ」って主張した野党がいましたか? 自民党だけが悪いと一刀両断するのは決して正しい理解ではない。
――自民党と業界団体の関係は癒着とも批判されてきた。団体への配慮を優先するあまり、国民のニーズとミスマッチが生じているのでは。
◆各種団体の既得権益というのは確かにある。だからといって(団体の要望などが)常に時代遅れというわけでもない。自民党はこれまで団体から現場の声を吸い上げて政策を作り、成功してきた。
しかし、それだけでは現場の実態や若い世代のソーシャルストレスのようなものを吸い上げにくくなってきたのも事実だ。自民党には、その点を改革して、新しいメディアを駆使しながら、幅広い声を吸収できる仕組みをつくる必要がある。
――選挙戦では、政治資金と選挙の双方で支援を受けている医師会の権益を守る「守護神」とも批判された。
◆私は、自分の理念やコンセプトに基づく近未来の医療のビジョンを明確に持っている。医師会に所属する先生が聞いたら怒るかもしれないが、医師会の利害で自分の政策をひん曲げたことは一度もない。
幸いにして政治家人生でその筋は貫き通すことができた。(政治資金も)あちこちからたくさんもらって、圧力があちこちから来るよりも1カ所だけからの方がいい。
私は自信のある政策を持っているので、逆に医師会の人たちを自分の考えに近づけさせる努力をした方が、政治家としてより充実して、しかも現場に根ざした改革ができると思っていた。<後編に続く>
■たけみ・けいぞう
1951年東京生まれ。前厚労相。テレビ朝日「CNNデイウォッチ」「モーニングショー」のキャスター、東海大教授などを経て1995年に参院選初当選。自民党に所属し参院議員を約25年務め、党参院議員会長、世界保健機関(WHO)親善大使などの要職を歴任。父は日本医師会長を務めた太郎氏。近著に「繁栄か、衰退か 活力ある健康長寿社会を創る」(日経BP)。
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