「母さん、もう駄目だ」 一人っ子の息子が犯した最初で最後の裏切り

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無理心中を図った男性から記者に届いた手紙。拘置所での取材を断りつつも、記者への気遣いが感じられた=大阪府で2025年7月30日午後1時46分、岩崎歩撮影
無理心中を図った男性から記者に届いた手紙。拘置所での取材を断りつつも、記者への気遣いが感じられた=大阪府で2025年7月30日午後1時46分、岩崎歩撮影

 「あんたでもあかんか……」。それが最後の言葉だった。

 絶対的な自分の味方だった母の余命がわずかと悟った息子は生きる希望を失った。死後の世界で再会したいと願い、母の首に手をかけた。

 怒りか、諦めか、落胆か。死の間際、母が残した短い言葉の意味を、息子はどう受け止めたのか。

母と息子のゆがんだ関係

 2025年6月、大阪地裁801号法廷。被告席に座った息子の男性(53)のほおはこけ、疲れ切った様子で背中を丸めていた。

 起訴罪名は殺人。23年11月に大阪府内の自宅で無理心中を図り、母(当時78歳)を絞殺したとする罪に問われていた。

 法廷で検察側や男性の説明に耳を傾けると、事件の背景に、母と息子のゆがんだ人間関係があったことが浮かび上がってきた。

 男性は、市役所職員の父、専業主婦の母との間に生まれた。一人っ子で、母親に溺愛された。

 高校時代。男性は生真面目で内気な性格で、強迫性障害に悩まされ、不眠症になった。母は隣に布団を敷いて付き添い、男性を安心させた。

 社会人時代。男性は大学卒業後に出版関連会社に就職した。30歳目前で東京への転勤を命じられたが、親元を離れて暮らすことに不安を感じて会社を辞めた。母は男性の決断を「大丈夫」と支持した。

 退職後、男性は介護福祉士の資格を取って高齢者のグループホームで働くようになった。食事の準備担当になったが、料理は苦手。母に相談すると、毎週末、献立通りのメニューを「予行練習」として作ってくれた。

 入所者の介助中のトラブルで休職に追い込まれた時も、母は「あなたが生きてさえいてくれればいい」と男性を慰めた。

 男性の窮地を救ってくれたのは、いつも母だった。2人は強い絆で結ばれていたが、その距離は「母子密着」と言っていいほどに近かった。

狂い始めた運命の歯車

 一家の歯車が狂い始めたきっかけは、…

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