「被爆2世としての使命」 フィギュア世界的コーチが伝え続けること

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インタビューに答える浜田美栄コーチ=大阪府泉佐野市で2025年7月25日、北村隆夫撮影
インタビューに答える浜田美栄コーチ=大阪府泉佐野市で2025年7月25日、北村隆夫撮影

 毎年、8月6日午前8時15分になると、静かに目を閉じ、思いをはせる。フィギュアスケートで多くのトップ選手を指導してきた浜田美栄コーチ(65)は、母が広島市で被爆した話を幼い頃から聞いてきた。被爆体験を語る当事者の高齢化が叫ばれる昨今、「2世として受け継いでいかなければいけない」とコーチ業で海外を訪れる度、各地で平和の尊さを訴えることを忘れない。

 80年前、浜田コーチの母、榎郷子さん(91)は、国民学校(現在の小学校)5年だった11歳の時、爆心地から約2キロの自宅で両親と被爆。その日、郷子さんは、たまたま学校を休み自宅にいたという。一方で、爆心地近くで延焼防止のため民家などを壊す「建物疎開」の作業をしていた姉の睦子さん(当時12歳)は行方不明となった。

 約10日後、がれきの中から睦子さんの上着だけが見つかった。上着は現在、広島平和記念資料館に寄贈されている。

 結婚を機に京都に移った郷子さんは、約30年前から府内を中心に自らの体験を語る活動を続けており、昨年には体験談を基にした冊子「チョンちゃんはいうときたいんよ 原爆で消えたムッちゃんのこと」を刊行。「チョンちゃん」は郷子さんの、「ムッちゃん」は睦子さんが呼ばれていた愛称だ。

 浜田コーチは幼少期から、伯母に当たる睦子さんのことを聞かされてきた。

 「広島の実家を訪れると仏壇の前には『ムッちゃん』の写真が飾ってありました。亡くなった祖母が、…

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