
米軍が投下した原子爆弾で負わされた心身の傷に苦しみながら、それでも体験を後世に伝えようと今年、手記を残した被爆者がいる。
長ズボンのすそをめくると、右足のふくらはぎに盛り上がった傷痕があった。傷について尋ねても、「ええ話じゃないけえ」と多くを語らない。
きっかけは特集番組
80年間、広島原爆で負った傷を隠して生きてきた広島県廿日市市の森田トメヲさん(94)は今年、自身の体験を聞き書きの形で手記に残した。語れる同世代が少なくなる中、つらい記憶でも語り継がなければという使命感からだった。
きっかけは昨夏、原爆に関する特集番組で証言する自分と同年齢の被爆者を見たこと。50年近く被爆者の証言集を作成してきた知り合いの元ケアマネジャーが半年ほどかけて聞き取りをした。
1945年8月6日朝、森田さんは学徒動員で爆心地から約2・4キロの己斐(こい)駅(現JR西広島駅)にいた。改札を出ようとした時、爆風で倒壊した駅舎の下敷きになり、気を失ったが一命を取り留めた。
話し始めた「みっちゃん」のこと
地面をはって、迫る火の手から逃れた。途中で聞こえてきた…
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