負の歴史、日本に重なる? 慰安婦象徴の少女像、ドイツに残る理由

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ドイツの首都ベルリンのミッテ区にある慰安婦を象徴する少女像=2025年7月11日午後0時1分、五十嵐朋子撮影
ドイツの首都ベルリンのミッテ区にある慰安婦を象徴する少女像=2025年7月11日午後0時1分、五十嵐朋子撮影

 ドイツの首都ベルリンの公有地に設置されている慰安婦を象徴する少女像を巡って、近くの私有地に移設する計画が進んでいる。

 2020年に「芸術作品」として期限付きで設置された少女像。日本政府が求めてきた撤去ではなく、移設という議論になっているのはなぜなのか。

設置か撤去か、揺れた地元の判断

 首都の騒々しさから少し離れた住宅街にある広い歩道の一角。周囲では背の高い街路樹が木陰を作り、ベンチで一休みする人も多い。

 7月中旬に少女像が設置されているミッテ区を訪れると、少女の隣にあって像の一部となっている椅子に、保育園帰りとおぼしき子どもたちが登って遊んでいた。

 少女像が設置されたのは20年9月だった。

 ドイツの韓国系市民団体「コリア協議会」が中心となり、韓国で元慰安婦を支える「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)が制作費などを支援した。

 慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」をうたった15年の日韓合意を覆し、日本にさらなる対応を迫る当時の文在寅政権の動きも背景にあった。

 当初からミッテ区の判断は揺れた。

 「芸術作品」として1年間の期限付きで区有地への設置を許可したが、設置直後に…

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