「受賞で終わらせない」SNS担う被爆3世 ノーベル賞で感じた希望

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伯母の横山照子さん(中央)に寄り添う嶋田真由美さん(左)と江頭真寿美さん=長崎市の平和公園で2025年5月19日、竹林静撮影
伯母の横山照子さん(中央)に寄り添う嶋田真由美さん(左)と江頭真寿美さん=長崎市の平和公園で2025年5月19日、竹林静撮影

 国を越え「核なき世界」を訴えた被爆者の願いを受賞で終わらせない――。2024年にノーベル平和賞を受けた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)。その授賞式や関連行事をノルウェー・オスロで見守った長崎の被爆3世の2人が、被爆者の姿やメッセージを国内外に届けようと、地元の被爆者組織の交流サイト(SNS)の発信を担っている。

 2人は嶋田真由美さん(47)=長崎県西海市=と江頭真寿美さん(47)=長崎市=で、双子の姉妹だ。日本被団協の地方組織・長崎原爆被災者協議会(被災協)の副会長で被爆者の相談員を長く務めた横山照子さん(84)のめいにあたる。

 2人の母(76)は、横山さんの7歳下の妹で被爆2世。横山さんによれば「2人が生まれた時、被災協のみんなが協力して昼休みに布オムツを縫った」といい、2人は物心つく前から被災協とゆかりがあった。

 ただ、2人が成長していく中で家族に被爆体験を聞くことはなかった。「母はそういう話をしないし『重たい話なのだろう』という意識があった」。大人になってからも仕事や家庭が中心で、「原爆を自分ごととして捉える機会がなかった」と2人は振り返る。

 そこへ横山さんが向き合う機会を作った。「遺族代表で参列しないか」。被爆80年を翌年に控えた24年夏、米軍が原爆を投下した8月9日に開かれる長崎市の平和祈念式典に、初めて2人を誘ったのだ。

 1945年のあの日、当時4歳だった横山さんは、祖父母や姉2人と疎開先におり、後日自宅のある長崎市内に向かい入市被爆した。一方、横山さんの母と1歳4カ月の妹律子さんは爆心地から約4キロの自宅で、父は爆心地から約1・2キロの勤務先で閃光(せんこう)にさらされた。

 両親と律子さんは一命をとりとめたが後遺症に苦しんだ。特に律子さんは呼吸が苦しくなる症状を抱え、手術後はかすれ声しか出せなくなった。入退院を繰り返す日々を横山さんが食事の介助などで支えたが、88年に44歳でこの世を去った。

 真由美さんと真寿美さんにとっては、小さいころ「律子おばちゃん」と呼び、夏休みの宿題を教えてもらった存在。献花をしながら、伯母らに思いをはせた。

ノーベル平和賞の授賞式を前に記念撮影する日本被団協の田中熙巳代表委員(前列中央)とメンバーら=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影
ノーベル平和賞の授賞式を前に記念撮影する日本被団協の田中熙巳代表委員(前列中央)とメンバーら=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影

 その約2カ月後、日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まった。日本被団協の代表理事でもある横山さんは授賞式で渡航するため、介護職で働く真寿美さんに付き添いを頼んだ。それを聞き、真由美さんも現地入りを決意。日本被団協の一行は付き添いに制限があるため、別のツアーで向かうことにした。

 出発前、2人は被災協から団体のSNSでの発信を託された。真由美さんがインスタグラム、真寿美さんがX(ツイッター)の担当に。滞在中にできることを話し合い、現地の熱気を伝えたいと考えた。

ノーベル平和賞の授賞式に出席した日本被団協の(右から)箕牧智之さん、田中重光さん、田中熙巳さん=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影
ノーベル平和賞の授賞式に出席した日本被団協の(右から)箕牧智之さん、田中重光さん、田中熙巳さん=オスロで2024年12月10日、猪飼健史撮影

 授賞式当日、真寿美さんは会場のオスロ市庁舎に向かう横山さんらの表情や、会場で賞状が授与される場面などを動画に収めて投稿した。一方、真由美さんは全国の被爆者や被爆2世などツアー参加者が集まった式典会場近くのパブリックビューイング(PV)の様子をアップ。田中熙巳(てるみ)代表委員がスピーチする姿が映るとスタンディングオベーションでたたえ、手を取り合ったといい、真由美さんは「被爆者の笑顔を見て、その表情に至るまでの苦難を想像し、平和賞受賞で終わらせてはいけないと思った」と語る。

 ノーベル賞委員会のヨルゲン・バトネ・フリードネス委員長は授賞式で、日本被団協の証言活動を「核兵器による想像を絶する痛みや苦しみを(聞き手が)自分のものとして実感する手助けをしてくれた」と評価した。式典を見届けた真寿美さんは「伯母が相談員をしていたのは知っていたが、その所属団体が長い間活動を積み重ねてきたと思うと誇らしかった」と話す。

 翌日、横山さんは喜びに浸る間もなく、真寿美さんの付き添いのもと、オスロの高校生200人を前に講演をした。語ったのは律子さんのこと。療養のためベッドで過ごす10代のころの律子さんの写真を掲げ、「原爆は人間の一生を駄目にすることを知ってほしい」と訴えた。

 真寿美さんが横山さんの講演を聞いたのはこれが初めて。身を乗り出して耳を傾ける高校生を見て「律子さんは学校に行きたくても行けなかった。戦争、原爆がそうさせたという訴えが響いている」と胸を熱くした。

ノーベル平和賞の授賞式を振り返る横山照子さん(中央)と、めいの嶋田真由美さん(左)、江頭真寿美さん=長崎市で2025年5月19日、竹林静撮影
ノーベル平和賞の授賞式を振り返る横山照子さん(中央)と、めいの嶋田真由美さん(左)、江頭真寿美さん=長崎市で2025年5月19日、竹林静撮影

 2人は現在、被災協が動画投稿サイト「ユーチューブ」に公開している被爆者の証言動画の紹介に力を入れる。「若い人たちに伝える時、暗いイメージを少し塗り替えるような感覚があってもいいのかな」。自分の事として捉えてもらえるよう投稿の内容を考えるなど、模索が続く。

 世界各地で衝突が起き、「核の脅し」が繰り返される今、平和賞を「この危機を突破するため」の受賞と受け止める横山さんは、「次の世代に被爆経験を伝えるための活動を、彼女たちが支えてくれている」と2人に期待を寄せた。【竹林静】

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