被爆から80年に合わせて、広島原爆の死没者名を読み上げる集いが7日、広島市内であった。15歳の時に被爆した切明(きりあけ)千枝子さん(95)=広島市安佐南区=が、母校の旧広島県立広島第二高等女学校(第二県女)で原爆の犠牲となった同窓生と教職員計50人の名前を1人ずつ読み上げ、追悼した。
80年前の8月6日朝、広島市内では民家などを取り壊して防火帯を築く建物疎開が行われていた。爆心約1キロの雑魚場町(現中区)で作業をしていた第二県女の2年生も大勢、犠牲になった。
4年生だった切明さんは足を痛めて病院へ向かう途中、爆心約1・9キロで被爆した。爆風で倒壊した建物の下敷きになったが自力で抜け出し、ガラス片や瓦などでふさがれた道をはうようにして学校に向かった。
昼ごろ、学校に戻ってきた生徒にはやけどを負い、垂れ下がった皮膚を引きずっている人もいた。痛みを和らげようと古くなった食用油を塗ってあげるのがやっとだったという。
うめき、泣きながら息絶えた生徒を校庭で火葬し、骨を拾った。「その時、初めて涙が出てきましてね。『納める場所がないから、喉仏と小指の骨だけにしなさい』と先生に言われ、名前と日付を書いたわら半紙に乗せて、校長室の机に並べましたよ。むごいことです」
その夜、海の方に流れ星がいくつも流れたのを覚えている。「魂が空に昇っているようで、ブルブルと震えながら泣いていました」と振り返る。
この日、切明さんは教職員3人と生徒47人について、印象や思い出に触れながら読み上げた。取材で訪れた崇徳高(広島市)新聞部の宮本桜さん(17)は「名前とともにプロフィルも紹介されたので、数ではなくそれぞれの人生を感じることができた」と語った。切明さんは「『忘れとらんよ』という気持ちを伝えました。みんな喜んでおられると思います」と話していた。【高尾具成、佐藤賢二郎】
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