福山雅治さんの「クスノキ」から考える8・9 長崎式典で初合唱へ

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山王神社の境内入り口にそびえ立つ被爆クスノキ。樹齢約500~600年で、被爆して一度枯れ木となるも再び新芽をつけ成長を続けてきた=長崎市で2025年6月30日、北山夏帆撮影
山王神社の境内入り口にそびえ立つ被爆クスノキ。樹齢約500~600年で、被爆して一度枯れ木となるも再び新芽をつけ成長を続けてきた=長崎市で2025年6月30日、北山夏帆撮影

 米軍が長崎で原子爆弾を投下してから9日で80年がたちました。長崎市で9日に開かれる平和祈念式典では、地元の小学生による合唱曲として、長崎市出身のミュージシャン、福山雅治さん(56)が作詞作曲した「クスノキ」が初めて選ばれ、歌われることになっています。クスノキと長崎原爆の関わりとは何なのでしょう。【竹林静】

 Q:被爆地・長崎にあるクスノキってどんな木なの?

山王神社の2本のクスノキ。葉や枝は爆風で吹き飛ばされ幹も焼けてしまった=長崎市で1945年8月下旬~9月中旬、早川弘撮影
山王神社の2本のクスノキ。葉や枝は爆風で吹き飛ばされ幹も焼けてしまった=長崎市で1945年8月下旬~9月中旬、早川弘撮影

 A:1945年8月9日午前11時2分、米軍の爆撃機B29から投下した原爆が、長崎市松山町の上空約500メートルでさく裂しました。長崎の街は強烈な閃光(せんこう)、3000~4000度という高温の熱線、秒速数百メートルの爆風にさらされ、木造民家はもちろん、頑丈なコンクリート製の建物も破壊されました。一瞬にして多くの人命が奪われ、生き長らえた人も放射線の影響による健康障害を発症して次々と亡くなりました。犠牲者は45年末までに約7万人と推計されています。

 被害は樹木にも及びました。その一つが、爆心地から約800メートル離れた山王神社の境内にあったクスノキでした。樹齢約500~600年と推定される大クス2本は、幹が折れ、熱線で黒焦げになったのです。ところが、被爆から約2カ月後、大クスに新しい芽が出てきました。被爆直後に「70年は草木も生えない」といわれた焦土でたくましさを見せた大クスの姿は、長崎原爆の復興のシンボルとされました。

 Q:福山さんが被爆クスノキを題材に楽曲を作ったのはなぜ?

山王神社の境内入り口にそびえ立つ2本の被爆クスノキ。樹齢約500~600年とされ、幹回りは左が6メートル、右が8メートル超ある=長崎市で2025年6月30日、北山夏帆撮影
山王神社の境内入り口にそびえ立つ2本の被爆クスノキ。樹齢約500~600年とされ、幹回りは左が6メートル、右が8メートル超ある=長崎市で2025年6月30日、北山夏帆撮影

 A:福山さんは、自身が長崎原爆の被爆2世と明かしていて、2014年、被爆したクスノキの視点で「生命の尊さ、たくましさ」や「全ての生命が等しく生きられる世界への願い」を込めた楽曲「クスノキ」を発表しました。大クスは再生し、緑の葉を茂らせたものの、幹の内部は空洞化していて、樹勢を維持するには治療が不可欠でした。そこで福山さんはこの年、被爆した樹木の保全を目的に募金口座を開設。集まった寄付金を長崎市に全額寄付しました。これを機に長崎市は被爆樹木を保存・活用を推進する取り組みを本格化させ、18年に「クスノキ基金」を設置しました。

 Q:式典で合唱されるのはどうして?

 A:平和祈念式典では00年から児童の合唱が始まり、爆心地に近い城山小と山里小が平和を願う歌を毎年交互に披露してきました。被爆80年の節目にあたる今年、長崎市は2校合同での合唱を考え、両校で歌う1曲として、福山さんに楽曲の使用を相談しました。これを福山さんが快諾しました。両校の5、6年生100人は、児童の合唱用に編曲された「クスノキ」を初めて披露します。長崎市は選曲について「未来を担う若い世代の子どもたちが被爆樹木を通して被爆の実相を学び、平和の大切さを感じられる」と説明しています。

 Q:被爆樹木はクスノキ以外にもあるの?

 A:原爆が投下された広島と長崎で爆風や熱線にさらされながら生き続ける樹木は、一般的に「被爆樹木」と呼ばれ、今年4月現在、広島市が159本、長崎市が50本を「保全対象」の被爆樹木として登録しています。種類はクスノキの他、アオギリやイチョウ、柿などさまざまです。両市は状態を調査・点検するため、樹木医によるパトロールを毎年欠かさず実施し、衰弱していれば治療したり土壌改良をしたりして命をつないでいます。

 Q:被爆樹木に2世もあるって聞いたけど?

 A:実は、市民らの草の根的な活動が広がり、被爆樹木の種や苗木を国内外に送る運動が続いています。国際NGO「平和首長会議」(事務局・広島市、加盟166カ国・地域)は、これまでに世界の22カ国・地域に被爆樹木の種から育てた「被爆2世」の苗木を配布しました。今年は、米ニューヨークの国連本部でも広島で原爆を生き延びた被爆柿の木の2世の苗木が植樹されました。

被爆アオギリの前で体験を語った広島原爆の被爆者、沼田鈴子さん=広島市中区で2007年7月25日、小松雄介撮影
被爆アオギリの前で体験を語った広島原爆の被爆者、沼田鈴子さん=広島市中区で2007年7月25日、小松雄介撮影

 Q:被爆樹木はどんな役割を担っているのかな?

 A:被爆の惨禍に遭いながらも再び芽吹いた被爆樹木は、市民に生きる希望を与えてきました。広島市の平和記念公園にある被爆アオギリの下で被爆体験を語り続けた沼田鈴子さん(11年に87歳で死去)は、原爆で左脚を失い、自殺を考えていた時、焼け焦げたアオギリが新芽をつけているのを見て、生きる勇気を取り戻しました。

 世界には今も1万発を超える核弾頭が存在し、被爆者たちが願う「核兵器廃絶」の道のりは険しいと言わざるを得ません。高齢化が進み、被爆証言をする被爆者が少なくなる中、被爆樹木は「無言の語り部」として、傷を抱えた姿で被爆の実相を後世に伝えています。そんな大切な存在を歌った福山さんの「クスノキ」も歌い継がれ、次の世代に被爆者の思いがつながっていけばいいですね。

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