戦時中に群馬県館林市上空で米軍戦闘機と空中戦を展開し墜落した旧陸軍三式戦闘機「飛燕(ひえん)」の残骸が、市第一資料館で初公開されている。戦後80年企画展「館林と戦争」の一環。企画展では熊谷陸軍飛行学校館林分教場に在籍していた特攻隊員が残した手紙をはじめ、新たに見つかった資料など約70点を展示している。市教育委員会の担当者は「館林が戦争と無関係でなかったことを知ってほしい」と話している。【湯浅聖一】
終戦末期の1945年2月、館林市上空で、調布飛行場(東京)所属の飛燕3機が、関東一円の軍飛行場などに大規模空襲を行った米グラマン戦闘機と交戦。このうちの1機が多々良村木戸(現同市木戸町)の桑畑に墜落し、沖縄出身で操縦士の新垣安雄少尉(当時25歳)が戦死した。
墜落した機体は地中に埋まり、回収作業は難航して断念。34年後の79年、地元の要望で作業が再開され、残骸と新垣少尉の遺体が見つかった。住民は現場近くの常楽寺に供養墓を建て、残骸は地区の集会所に保管。これまで公開されることはなかったが、戦後80年の節目に、戦争資料として役立ててもらおうと資料館に寄贈した。
会場には、高速化を図るために作られた当時最新鋭の液冷エンジンやプロペラ、尾翼の一部などを展示。損傷の様子から墜落した際の強い衝撃が想像できる。市教委文化振興課の吉村昭和(あきのり)係長は「燃料タンクの被弾した跡から、空中戦の激しさが分かる」と解説する。
この他に、熊谷陸軍飛行学校館林分教場で訓練した後、特攻隊に志願した隊員が、戦地から家族ぐるみで交流のあった地元住民へ送り続けた手紙も紹介。出撃を前に食欲がなくなる話などがつづられ、隊員の葛藤や苦悩がリアルに伝わる貴重な資料になっている。
企画展では、市内の戦争体験者から聞き取った新たな証言や、戦時の様子が詳細に書かれた郷土史家・福田啓作(1878~1969年)の日誌なども展示している。吉村係長は「80年前の戦争が館林と無関係ではなく、むしろ身近に存在していたことを認識し、平和のために何ができるかを考えるきっかけになれば」と話した。
9月21日まで。8月29日と月曜休館(祝日の場合は翌日)。午前9時~午後5時。入館は無料。問い合わせは同資料館(0276・74・4111)。
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