国家の負の歴史語る難しさ 日本はポーランドから何を学ぶか

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ユダヤ人虐殺の犠牲者を慰霊する碑の前で追悼する人=ポーランド北東部イエドバブネで2025年7月13日、宮川裕章撮影
ユダヤ人虐殺の犠牲者を慰霊する碑の前で追悼する人=ポーランド北東部イエドバブネで2025年7月13日、宮川裕章撮影

 世界は第二次世界大戦をどう総括しているのか。政治や社会、歴史認識が複雑に絡み合う各国の戦争博物館の現場から報告し、戦後80年を迎える日本でも考えたい。

ソ連の影響下に置かれたポーランド

吉岡潤・津田塾大教授

 ポーランドは戦後、長くソ連の影響下に置かれ、第二次世界大戦の歴史は、ナチス・ドイツによる占領・迫害をソ連・共産党が解放、救済したという文脈の中で語られてきた。冷戦が終結し、そのタガが外れると、ソ連による抑圧の過去についても語れるようになり、繰り返し降りかかる苦難を英雄的に克服する歴史としてポーランド史を描く余地が拡大した。

 ところが、対外的に広く認知されるようになったのは、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の現場としてのポーランド像だった。欧州連合(EU)加盟を目指していた当時のポーランドは、自民族中心主義的な歴史観を前面に出すことに抑制的でもあった。

 そんな中、ナチス占領下のイエドバブネで1941に起きたユダヤ人虐殺事件に、隣人だったポーランド人が主犯格で関わっていたことが2000年に明らかになり、その加害の責任を巡り、大論争が巻き起こった。

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