
あの夏は負けることさえできなかった。
7年ぶりに甲子園に戻ってきた中越(新潟)は2021年夏、甲子園につながる県大会の出場を辞退した。
残ったのは不戦敗の記録だけ。
目標を失い、泣き崩れたナインは大学生や社会人となり、再び母校のグラウンドに立った。

「出場できる喜びをかみしめ、甲子園の舞台で強さを証明してほしい」
後輩たちの全力プレーに自分たちの姿を重ねている。
最後の大会直前、告げられたのは…
「何のためにやってきたんだろう」――。当時の3年生で捕手だった外山俊さん(21)=新潟医療福祉大4年=はあの日のことを今もはっきりと覚えている。
中越は県大会の初戦を3日後に控えた21年7月13日、校内で新型コロナウイルスがまん延しているとして出場を取りやめた。
室内練習場に集められた外山さんらは、本田仁哉監督の説明を聞き、涙が止まらなくなった。
前年の20年夏も県独自大会では優勝したが、新型コロナで甲子園大会は中止になった。新チームになり「今年こそは」と練習に打ち込んできたのに、2年連続で「甲子園」を奪われてしまった。
本田監督にとっても「一生忘れることができない、永遠の原動力」だという。
出場辞退後の8月上旬には、卒業する3年生のためにと紅白戦が用意されたが、外山さんは「『甲子園』という目標を失ってしばらく前向きになれなかった」と話す。

副主将を務めていた小倉大和さん(21)=仙台大4年=も思いは複雑だ。高校卒業後は野球を辞めたが「最後の夏に一試合もできなかったという心残りは、高校を卒業して野球を離れても、心のどこかに引っかかっている」という。
教育実習生として再び母校へ
高校最後の夏から4年が過ぎ、当時の3年生たちが中越のグラウンドに戻ってきた。
小倉さんは教育実習生として、野球部の寮に泊まり込み、選手たちと寝食をともにした。小倉さんは「選手同士の『つながり』が大事」だと選手たちに積極的に声を掛け、県大会の決勝も球場で応援した。
「今年のチームは結束力が強い。個人個人の人柄もあって、日本一を達成してくれるのではないかとワクワクさせてくれる」と小倉さん。見ている人を勇気づけてくれるような活躍を期待する。

一方の外山さんは、高校時代に挑戦することができなかった「新潟から日本一」の夢を追いかけ、新潟医療福祉大に進学。野球部で主将を務め、昨年秋には創部以来初めてとなる関東大会出場を果たした。
あいさつをしようとその冬に本田監督のもとを訪れると「教えてやってくれ」と声がかかり、今年3月には自らが通う大学との練習試合も組まれた。
そうしたことがきっかけで後輩たちと連絡先を交換し、「密」にアドバイスを送ったり、やりとりを交わしたりするようになった。
先輩の助言で成長実感

特に注目してきたのが、自分と同じポジションの仲丸陽大捕手(3年)だ。捕球の仕方や配球について、LINE(ライン)や電話などで相談に乗った。仲丸選手は「(体を使ってボールを止める)ボディーストップの考え方が変わり、試合の中でも生かすことができた」と感謝する。
夏の県大会では、対戦相手の試合を分析し、配球のポイントなどを伝え、仲丸選手と一緒に作戦を練った。外山さんは仲丸選手について「最初は自分のことで精いっぱいだったが、だんだんと周りが見えるようになってきた」と目を細める。
31年ぶりの勝利目指し
初戦は第8日第2試合、東東京代表の関東一に決まった。昨夏の準優勝校との対戦に窪田優智主将(同)は「名門校と戦えるのはうれしい。やってやるぞという気持ちが高まった」と闘志を燃やす。
新潟勢はいまだ深紅の大優勝旗を持ち帰ったことはない。中越の甲子園出場は県勢最多タイとなる12回目ながら、勝利となると1994年以来遠ざかっている。また、中越は直近の3大会でいずれも初戦サヨナラ負けを喫している。
外山さんと小倉さんは「いつも通りのプレーで持てる力を全て出し切ってほしい」と期待を寄せる。甲子園でプレーできる喜びをかみしめてほしい。そんな思いを胸にアルプス席から後輩たちを見守るつもりだ。【戸田紗友莉】
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