
「うわさの須恵器(すえき)壺(つぼ)G 近年、古代史・考古学の学界を騒がせている」
大阪府立近つ飛鳥博物館の企画展「古代人、食べる―食と考古学―」(7月27日に終了)で展示されたある土器の解説文だ。
色はグレー、細長い胴体に太く長い首の付いたその土器は「壺G」。近年、使い道の謎を巡る研究が盛り上がり、「つぼじー」という音の響きのユーモラスさから形をかたどったキャラクターも活躍する。約1200年の時を超えて現代人を引きつける壺Gとは。
水筒説や花を生ける華瓶説も
須恵器は、古墳時代に朝鮮半島から伝わった窯業技術で作った土器。硬く保水性が高いため液体の保管や運搬に優れている。壺Gは奈良文化財研究所(奈文研)が、須恵器の形状をアルファベット順に分類した専門的な名称だ。
壺Gは、奈良時代後半から平安時代前半に作られた。平城京のあった奈良や、長岡京や平安京のあった京都で出土が多く、東北や関東、西日本、九州でも確認されているが用途は分かっていない。生産地が静岡県の2カ所の窯跡に限られていることも謎だ。
1990年代初め、壺Gは駿河、伊豆両国(現在の静岡県)から都に納められていた堅魚(かつお)煎汁(いろり)の運搬容器だったとの説が出された。堅魚煎汁はカツオを煮詰めてうまみを凝縮した液体調味料とみられ、平城京跡で静岡から届けられたことを記した木簡も出土している。高級品だったようで、天皇の食事に出された吸い物に使われたり、高位の役人に与えられたりしたことが文献に残っている。
さらに90年代後半には別の説も相次いで浮上する。東北の蝦夷(えみし)を服従させるために派遣された兵士の水筒説や、仏教用具で花を供える華瓶(けびょう)という説だ。だがいずれも決定打に欠け、研究は停滞した。
カツオ調味料の「容器」か

壺Gの議論が再燃し、研究者の注目を集めるようになったのは2020年代に入ってから。古代の食などを研究してきた三舟隆之・立教大特任教授の研究グループが、古代のカツオ利用や加工法などを学際的に研究し始めたことがきっかけだ。
その中で奈文研の小田裕樹・主任研究員らは考古学的な観点で壺Gの製作工程や分布、生産地などを再検討したほか、煮詰めて粘度が高まる堅魚煎汁が壺Gに入ることなどを実験で証明し、容器説が有力であると主張している。
壺Gの分布調査は、各地の研究者が協力する。7月に明治大であった考古学研究会東京例会は「須恵器壺Gをめぐる諸問題」をテーマに、三舟さんや小田さんが報告したほか、宮城、茨城、埼玉、神奈川の博物館や教育委員会などの専門職員が東日本での出土事例の検証結果を説明した。
三舟さんは壺Gの魅力を「謎が多いこと」と語る。また「さまざまな分野の多くの人の協力で用途が分かるかもしれないことも魅力」とも。研究者のネットワークは急速に拡大し、自主的な「壺Gを見る会」が各地で開かれ、三舟さんは研究に参加する仲間を「壺Gフレンズ」と愛情を込めて呼ぶ。
「壺のおじいさん?」勘違いから
小田さんは壺Gが注目される別の理由を「絶妙なネーミングにある」と見る。分類はアルファベットを順番に当てた無機質なものだが「たまたま、つぼじーという何とも脱力感のある名称だったことも関心を呼ぶことになった」と考える。

壺Gを生産した助宗古窯群(すけむねこようぐん)のある静岡県藤枝市は、「壺じぃ」という名前のおじいさんのキャラクターを09年に作った。遺跡のPRなどで活躍し、缶バッジが販売されている。市文化財課によると、博物館の職員が電話で「壺G、壺G」と連呼するのを、他の職員が「壺のおじいさん?」と勘違いしたことがキャラクター誕生のきっかけだという。
三舟さんらの研究グループは出土状況をさらに調べるほか、土器に含まれる鉱物の組成から産地を特定したり、付着した脂質の抽出・分析で内容物を推定したりする予定だ。【高島博之】
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