
海外の大学に次々合格し、現在は慶応大で脳科学を学ぶ女性。どんなに裕福で恵まれた教育環境で育ったのかと想像してしまう。
ところが彼女は、中学までをブラジル人学校で過ごした。日系ブラジル人として数々の壁にぶつかりながら自分の手で道を切り開いてきた。
「楽しいなって。専門だけでなくいろんな分野の授業を重ねて受けられるんですよ」
慶応大環境情報学部2年、原丹野カウアンネさん(24)は、はじけるような笑顔で学生生活について話した。
アニメが日本語の先生
4歳の時、日系3世の両親と姉とともに来日した。ブラジル南部のパラマ州ロンドリーナ出身。日系人が多く、良質なコーヒー生産地として知られる。
両親はいわゆる出稼ぎで、岐阜県や三重県の工場で働いた。日本語はほとんど話せず、家での会話はポルトガル語。カウアンネさんは当然のようにブラジル人学校に通った。
ただ小学6年から中学1年にかけての半年間、三重県の公立学校に通ったことがある。
ブラジル人学校の授業は、母国と同じカリキュラムをポルトガル語で行う。日本語をほとんど話せない生徒は珍しくない。
カウアンネさんは当時パティシエになりたかった。専門学校に進学するには日本の学校に通った方がいいと考え、転校を決めた。
流ちょうな日本語を話すカウアンネさんにどこで勉強したのか尋ねると、「アニメです」と即答した。
来日後は母や姉と一緒によくテレビを見た。好きなアニメ番組を何度も見ているうちに、自然と日本語が身についたという。
「壁」を作られた公立小時代
転校時、日本語は公立小の授業に問題なくついていけるレベルに達していた。それでも周囲になじめなかった。
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