
広島の高校生が被爆者の証言を聞き、当時の記憶を描いて再現する「原爆の絵」。高校生の時、その活動に参加したイラストレーターのSoutenさん(30)=首都圏在住=は、卒業後も本業のかたわら戦争や平和をテーマにした作品を描き続けている。
原爆が投下されたあの日からまもなく80年。被爆者の男性と真剣に向き合ったSoutenさんが考える記憶の継承とは。
被爆者の声を聞く
「原爆の絵」の事業は、広島平和記念資料館と広島市立基町(もとまち)高校が2007年度から手がけている。被爆者の証言を絵にして後世に残し、高校生たちが思いを継承する狙いがある。
Soutenさんは2年生だった11年に挑戦した。戦時下の記憶を語ってくれたのは児玉光雄さん。12歳だった旧制広島一中(現県立広島国泰寺高校)1年の時、爆心地から約850メートルの校舎で被爆した。
Soutenさんは自宅も訪れて何度も話を聞いた。本人の意見を聞きながら「忘れられない~あの眼」と題した絵を完成させた。
あの日、爆風で倒れた塀の下敷きになった女性に助けを求められたが、置き去りにせざるを得なかった。後悔の気持ちが消えることはない。児玉さんのその記憶を、共同作業をするようにして作品にした。
「終わらせたくない」
Soutenさんは東京芸術大学に進学した後、原爆投下のあった8月6日を迎える社会の雰囲気に違いを感じるようになった。広島では必ず黙とうする特別な日だが、同じように受け止められていない。
大学で創作を続ける中、「原爆の絵」の制作が自分にとって大きなものだったと感じることもあった。
「このまま終わらせたくない」
再び児玉さんに会いに行って交流を重ね、新しい絵を16年に完成させた。
描いた全身肖像画
作品名は「1945―2016」。さまざまな部位にがんを発症し、20回を超える手術を重ねた児玉さんの人生を投影した全身肖像画だ。スーツ姿で立つ児玉さんの絵に細胞や遺伝子の傷を浮かび上がらせた。
Soutenさんが向き合った児玉さんは、とても明るく優しい人だった。
だが、原爆から解き放たれた目に見えない放射線は生涯、児玉さんの心と体を痛めつけた。その傷と苦しみを伝えた作品を、本人は喜んでくれたという。
仕事のかたわら10年
みんなが平和で暮らせるにはどうすればいいか……。…
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