「時間は残されていない」 高齢化する“黒い雨”訴訟原告らの叫び

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姉の吉田文枝さんが映った写真を眺める高野鈴子さん(右)と先矢喜久子さん=広島市佐伯区で2025年6月17日午後4時12分、井村陸撮影 拡大
姉の吉田文枝さんが映った写真を眺める高野鈴子さん(右)と先矢喜久子さん=広島市佐伯区で2025年6月17日午後4時12分、井村陸撮影

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びた住民らが、広島県や広島市に対して被爆者健康手帳申請の却下処分の取り消しを求めて起こした訴訟。原爆投下から80年、原告たちは高齢化しており、判決を待たずに亡くなった人もいる。原告らは「一刻も早い救済を」と訴えている。

 黒い雨を巡って国は1976年、広島の爆心地から北西方向にある一部地域に激しく降ったとして、その地域を援護区域に定めた。しかし、この区域外でも黒い雨が降って、健康被害を受けたと訴える住民が2015年に広島地裁に提訴。21年の広島高裁判決は被害者の救済拡大を命じ、国は22年から援護対象を従来より大きく広げた。

 しかし、新基準でも手帳交付が認められない人たちが23年4月、広島県や広島市に手帳申請の却下処分取り消しを求めて広島地裁に提訴し、裁判は今も続く。当初23人だった原告は追加提訴を重ね、今年5月時点で84人にまで増えた。

 「今度の裁判に来られますか」。5月上旬、「原爆『黒い雨』被害者を支援する会」の事務局長を務める高東征二さん(84)=広島市佐伯区=は、自宅から原告一人ずつに電話をかけて、翌週に控えた次の口頭弁論後にある集会に出席できるか確認していた。

 しかし、電話をかけた約60人のうち約20人は電話がつながらない。残りは電話はつながっても「病気で行けない」などの反応で、集会に参加できると答えたのは15人ほどだった。高東さんは「病気になって、途中から裁判に来られなくなった人もいる。原告たちの時間もほとんど残されていない」と訴える。

101歳で亡くなった原告の吉田文枝さん=高野鈴子さん提供 拡大
101歳で亡くなった原告の吉田文枝さん=高野鈴子さん提供

 さらに、今年5月時点で既に原告が4人も亡くなっている。23年12月に老衰のため101歳で亡くなった吉田文枝さんは、そのうちの1人だ。

 吉田さんは広島市の爆心地から西に約25キロにあった旧津田町(現広島県廿日市市)で黒い雨を浴びたと訴えていた。黒い雨が降った時に一緒にいた妹の高野鈴子さん(82)=広島市佐伯区=によると、吉田さんは原爆が落ちた日のことを鮮明に覚えており、いつもきょうだいに「油っぽい雨が降ってきた」と話していた。

 しかし、22年に始まった新しい救済制度で、旧津田町は対象区域に含まれていなかった。そのため、高野さんは、吉田さん、もう1人の姉、先矢喜久子さん(90)と原告に加わった。生前の吉田さんは「真実を知ってもらいたい」と語っていた。

 吉田さんは亡くなる約2カ月前から、体調不良で入院した。見舞いに行った高野さんが、新型コロナの感染予防のためにガラス越しに「(裁判の判決は)まだかかりそうだからもうちょっと頑張ってね」と声をかけると、小さくうなずいていたという。高野さんは「原告は高齢化し、今後も亡くなる人は増えていく。一日も早く判決が出ることを望んでいる」を話した。【井村陸】

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