
広島は6日、鎮魂の祈りに包まれた。米軍が投下した原子爆弾は街を焼き尽くし、大勢の命を奪い、生き残った人々も心身の傷に苦しみ続けている。80年が経過してもなお、核兵器廃絶は実現せず、使用の危険性は高まるばかり。核なき世界に向けて志を同じくする人々がこの日、それぞれの場所で決意を新たにした。【藤木俊治、武市智菜実】
草花をモチーフにしたスケッチ画、寄り添う男女をガラス板に写したガラス絵――。優しいタッチが、描き手の人柄を思わせる。栃木県の遺族代表、小松宏生(ひろみ)さん(91)=那須烏山市=は画家だった父が残した作品を携え、初めて広島平和記念式典に参列した。平和への願いをつなごうと、孫と2人のひ孫も一緒だ。
「お父ちゃん、80年たって、やっと来たよ」
1945年8月6日、広島上空で原爆がさく裂した時、小松さんの父熊田亮造さんは、広島市中心部にあった日本発送電中国支店(現中国電力)に出社していた。画家や彫刻家として創作活動にいそしむ傍ら、家計を支えるために会社勤めをしていた。
支店は爆心地から約900メートルの元安川沿いにあり、多くの社員が犠牲になった。亮造さんも勤務中に被爆したとみられるが、家族がいくら捜しても…
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