
7月初め、米東部ペンシルベニア州ハリスバーグ郊外。「クレイン・クリーン・エナジー・センター(CCEC)」という見慣れない看板を掲げた原発が、静かにたたずんでいた。
米東部3州にまたがるサスケハナ川の中州に建つこの原発は、片側1車線の道路から川を挟んでわずか数百メートルの距離にある。渋滞にはまったトラック運転手たちが運転席から、青空にそびえる巨大なプラントを退屈そうに眺めていた。
スリーマイル島(TMI)原発。それこそ1979年3月、2号機が炉心溶融(メルトダウン)し、約14万人が避難するという大事故を起こした戦後エネルギー史に残る原発の「本名」だ。
2024年9月、TMI原発を保有する米電力大手コンステレーション・エナジーが事故を免れた1号機の再稼働を決め、名称も変えた。米国で原子力の振興に尽力した経営者、クリストファー・クレイン氏の名にちなんだという。
再稼働を資金面で支えるのは、人工知能(AI)開発競争の先頭を走るITの巨人、マイクロソフトだ。1号機から供給される電力を20年にわたって購入する契約を締結。歴史的事故の「刻印」を消し去った老朽原発からの電力を待つ。
電力供給は28年に始まる予定だが、27年に前倒しされる可能性も出ている。
原発ラッシュ一転、事故でブレーキ
戦後の国際社会を主導してきた米国は、原子力分野でも世界をリードした。
冷戦下で旧ソ連と核開発競争を繰り広げるなか、51年に世界で初めて原子力エネルギーによる発電に成功。53年には、アイゼンハワー大統領が国連演説で「原子力の平和利用」を提唱し、60~70年代に商用原発が相次いで建設された。
そんな「原発ラッシュ」に急ブレーキをかけたのがTMI原発事故だ。機器の故障や作業員のミスで2号機がメルトダウンし、放射性物質が漏れ出した。「被ばくしても人体に影響のないレベル」とされたが、原子力の「安全神話」は崩れ、原発推進の流れはピタリと止まった。
90年代に地球温暖化対策が世界の課題になると、01年に発足したブッシュ(子)政権は稼働中に二酸化炭素(CO2)を排出しない原発の推進へ再びかじを切った。
しかし11年の東京電力福島第1原発事故を受けて世界的に安全対策が強化され、原発の運営コストは上昇。液化天然ガス(LNG)火力や再生可能エネルギーに価格競争力で劣るようになり、市場での存在感は薄れていった。
高コストでも「最適解」
TMI原発1号機も事故後、一時は同じ運命をたどった。廃炉作業が進む2号機の隣で商業運転を続けたものの、19年9月に採算が合わなくなり運転を停止。1、2号機そろって歴史に幕を下ろしたはずだった。
それをよみがえらせたのが、マイクロソフトだ。
株式時価総額は7月下旬時点で4兆ドル(約600兆円)を突破し、半導体大手エヌビディアに次ぐ世界2位。自由に使える手元資金は直近ピークの23年9月末時点で1439億ドル(約21兆円)と、北欧スウェーデンの25年度の国家歳出見通しに匹敵する規模だ。
莫大(ばくだい)な資金力を誇るマイクロソフトは、…
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