
かつて前線に派遣された艦艇は現在、北九州市の港を守る防波堤として、行き交う船舶を見守っている。
「軍艦防波堤」と呼ばれる響灘沈艦護岸は、旧日本軍の駆逐艦3隻からなる。戦後の資材不足を補うため、1948年に船体が沈められた。2000年には土台部分をコンクリートで固める補強工事を行い、現在の姿になっている。
今も船首と側面部分がわずかに残る駆逐艦「柳」は1917年に完成。第一次世界大戦時には、地中海のマルタ島で同盟国の護衛などに従事した。腐食が進むその姿は月日の長さを感じさせる。
同じく護岸に埋まる「涼月」と「冬月」は、太平洋戦争末期に戦艦「大和」を護衛するため、沖縄に出撃。奇跡的に沈没することなく終戦を迎えた。
軍艦防波堤の保存と市文化財登録を求める市民団体「軍艦防波堤連絡会」の松尾敏史代表(65)は強調する。「保存することによって関心が向き続ける。戦争というものが何なのか、五感を使って学習できる貴重な場所だ」
日が暮れて暑さが和らぐと、釣り人が甲板に腰掛けて静かに糸を垂らしていた。日常に溶け込む駆逐艦の姿があった。
【玉城達郎】
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