児童用のノートでつくった戦時中の納経帳。「出征軍人 武運長久祈願」と書き込まれ、四国霊場88カ所の札所をはじめ、近隣の社寺の納経印(朱印)が数多く押された。「武運長久」の印を添えたものも。納経帳は愛媛県立歴史文化博物館(西予市)に寄贈され、四国遍路文化を研究する今村賢司・専門学芸員は「納経帳に願いの眼目が記されていること自体がまれなこと。信仰や生活に戦争がもたらした影響を知る貴重な資料」として分析を進めている。
納経帳はA5判の児童用ノートで、表紙を錦の布地で飾っている。2023年10月、愛媛県西予市の男性から館に贈られた。今村さんによると、男性の祖父・楠寅市氏(故人)は旧野村町(現西予市野村町)の在家修験者で信仰にあつく、日中戦争が始まった翌年に当たる1938(昭和13)年8月ごろから郷土出身兵士らの武運長久祈願を開いた記録が納経帳に残されていた。日付不明ながら、祈願は54回にわたり、個人宅や地元のお堂で行われたとされる。合わせて楠氏は「願主(がんしゅ)(神仏に願いを立てる人)」として四国霊場や地元の社寺で祈願を繰り返したようだ。
この中で「支那事変武運長久祈願」として当時の日中戦争で北支(華北地域)、上海の部隊に配属された旧野村町121人、旧中筋村(現西予市)46人などの兵士の名が列挙され、その上に四国霊場第44番大宝寺、第45番岩屋寺(以上愛媛県久万高原町)、第46番浄瑠璃寺、第47番八坂寺(以上松山市)などの納経印が押されている。
今村さんによると、納経印は重ねて押すとそれだけ御利益があると伝えられ、大宝寺の印は7回も重ねられたほど。また、三嶋神社(旧野村町)、和霊神社(宇和島市)などでは朱色の「武運長久」印が押され、武運長久祈願が一般的に行われていたことがうかがえる。
納経帳にはまた、武運長久祈願の参加者による記念写真、参列者が大般若経(だいはんにゃきょう)を読み上げて武運長久を祈願する写真、祈願の模様を伝えた新聞記事なども貼られた。記事では楠氏が故郷の出来事や写真などを年賀状にして戦線の兵士らに送ったことを伝えている。
今村さんは「家族を送り出すに当たり、息子や夫だけ『無事に帰って』とはおおっぴらには言えない時代。だが、その願いはどの家族にも共通だったはず。『武運長久』という言葉に思いを込め、家族や地域の願いを願主が代参したといえる」と話し、この夏、戦時下の遍路事情を館の学芸員ブログで紹介している。【松倉展人】
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