全国高校野球選手権大会は第13日の19日、阪神甲子園球場で準々決勝があり、今春のセンバツ大会に続く春夏連覇を目指した横浜(神奈川)は県岐阜商に延長十一回タイブレークの末に7―8でサヨナラ負けした。
「4番・左翼」で先発し、五回途中から救援登板した奥村頼人選手(3年)は最後まで投げて4失点(自責点1)。チームは4点差を追いつき、延長十回には3点のリードを奪ったが、再逆転を許し、「県岐阜商さんの全員で一体となっているところが実力以上に怖かった」とマウンドで感じた重圧を振り返った。
奥村選手の試合後の主な談話次の通り。
横浜・奥村頼人選手
<今の率直な気持ち>
勝ちに一番こだわり、帽子にも「勝」という言葉を書いてずっと続けてやってきた。一番、練習をしてきた自信もあるし、投手だろうと、野手だろうと、守備だろうと、チームに貢献するためにやってきました。
時が過ぎ、織田という自分よりもはるかに能力が優れた存在がいた(1年後に入学した)。その中で、自分はエースナンバーを背負わせてもらって、苦しい場面で投げることしかなかったが、プレッシャーと戦ってきた。
バッターでは4番として中心としてやってきたが、やっぱり……。
みんなが最後まで自分を信頼してくれた。自分一人ではこんな経験はできなかった。ここまで来ることはできなかった。まずは感謝の気持ちが強いです。
<九回や延長十回タイブレークは内野5人シフトを敷いて、得点を防いだ>
5人シフトをする意味を考えました。内野が前に来ているので、強い打球を打たせないために全球真っすぐで押そうと(捕手の)駒橋と決めました。変化球だと外野まで飛ばされると思いました。
<初めてリードする展開になった延長十回裏のマウンドは難しかったか>
3点をリードして、アウトを1個ずつ取っていこうという声があって、それが一つ気の緩みにつながってしまったかと思う。
どんな状況でもバッターに全力で勝負しないといけないのに、そこから逃げてしまった部分があった。同点になってからは気付いて、もう一回攻める気持ちになった結果、抑えられました。そういう部分が少しあったかなと思う。
<最後に打たれた球は>
コースじゃなくて、気持ちが一番作用すると思っていました。気持ちで一番押していった投球だったが、打たれてしまったということは相手の気持ちが勝ったということだと思う。もっとレベルアップしないといけない。
<県岐阜商をどう感じたか>
すごく応援されているチームだと思う。自分たちも愛されるチームを掲げてきたが、それを実感した。アウェーのような感じでした。向こうはアルプスが満員で、最後は全員が拍手で応援している感じだった。
その中でも、力を出さないといけないです。追われる立場なので。そういう場面でもやれるように、挑戦者という目標も掲げてきたが、県岐阜商さんの全員で一体となっているところが実力以上に怖かったところもあります。
<進路は>
今まで隠していたが、レベルアップを求めてずっとやってきた。この大会でレベルアップしてプロの道へ行くことは決めていた。
これからはプロ一本を目指して頑張っていきたいです。
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